これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

絶対的な味方

人が安心感を持つためには、
「絶対的な味方」がいるかどうかだと思う。


私のことを知らない、言わば他人は、
私の味方になることはないでしょう。
なる理由がないから。


私のことをある程度知っている知人、友人、兄弟は、
ある程度、私の味方になってくれるはず。


でも、その人達にとって味方になりたい一番は、
両親であり、配偶者であり、私が一番になることはない。


そういうことから、
絶対的な味方になってくれることを期待してはいけない。


妻は、
絶対的な味方でいようとしてくれていた。


絶対的な味方の存在を身近に感じると、
こころが保護膜で覆われている感覚になり、
こころの安心に繋がっていた。


結婚して6年後、
赤字が続いていた会社に、メイン取引銀行は、
債権放棄の条件として、3ヶ月の期間で、社員を3分の1に
減らすことを通告してきた。


大リストラが始まったのだが、
この時は、私はリストラにひっかからなかった。


しかし、その9ヶ月後、私は会社に退職願を提出した。


無職となった私に対して、
妻は、
のらちゃんは、のらちゃんなのだから」と言った。
(無職になったとしても、人間としての のらちゃんが変わった訳ではなく、
これからもついていきます ということなのだろう)


この言葉を聞いて、
私は、妻は「絶対的な味方」なのだと思った。


「絶対的な味方」が傍らにいることで、
私は、安心感を持って生活できていた。


そんな妻は、宇宙へ旅立った。


「絶対的な味方」がいなくなったことで、
こころの安定がぐらついた。


でも、
倒れないように、
妻が、一生懸命支えてくれてる感じがしないでもない。

×

非ログインユーザーとして返信する