これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

ブログを書く意味

死別ブログを書き始めて5年弱になる。


私は、
ブログは、日記の公開版と考えている。


日記は、
自分のために書くものであり、
主に記録を残すのが目的となる。


ブログは、
自分だけでなく、他の人も目にすることになる。


私にとって、心の処方箋は、
励まされるよりも、
妻の話を聞いてもらうことだと思っている。


ブログに、妻のことを書くことによって、
妻の話を聞いてもらった気分になれる。


そういうことから、
私にとって、ブログは、心の薬であり、
妻という人を、外に公開する場だと思っている。


妻の遺骨箱に、毎日(4回以上)、手を合わせる行為と並んで、
ブログは、
妻の記憶を留めるのに有効な手段となっている。


人が人を忘れる順番は、
「声」、「顔」、「思い出」の順だと聞いたことがある。
耳、目、脳に入る情報だ。


「声」が一番先に忘れられるということだが、
妻の動画の中で、妻の声が入っているものは少ない。


私は、妻の声(子供のようで、弱々しい声)が気に入っていたので、
意識して、忘れないようにしたい。


話は変るが、


妻が昏睡状態の時と、
死亡後、自宅で安置されてた時に、
私は、
妻の顔に自分の顔を近づけ、話しかけている。


昏睡状態の時は、
「次の世界でまた会って、もう一度結婚しようね」
と話しかけた。
妻の反応はなかったが、聞こえていたはずだ。


安置されている妻に対しては、
昏睡時に言い切れなかったことを話した。
それは、
妻への感謝、そして、後悔していることを妻に詫び、
最後に、「次の世界でもう一度会おう。私がそっちへ行くまで、
「ハチ」(妻が好きだった近所の犬)と仲良くしていて下さい」
と話しかけた。
こちらの方は、聞こえていてほしいという願望があるのみだ。

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