これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻が生きていたら

人間、年を取ると、
体力、記憶力は落ち、外見も劣化していく。


このような、マイナスの面もあるが、
プラスの面もある。


経験を積み重ねることにより、人を見る目が養われ、
若い時には見えなかったことが、
見えて来て、本質を見分ける力もついてくる。


年を取ることを嫌う人は多いが、
私は、それほど嫌ではない。


若い女性にチヤホヤしたり、
若くない女性を外見でマイナス判断したりする男性も少なくない。


私も若い時は、年齢で、相手に対するイメージを
作ってしまう傾向があった。


しかし、
60を過ぎた頃から、女性の年齢はどうでもよくなった。
その人の“醸し出す雰囲気の良し悪し”で、相手を見るようになった。


80過ぎのおばあちゃんを見て、
多くの20代の女性よりもいいと思えることは度々ある。


ここで、妻と私の話になるが、


妻は、57歳で亡くなったのだが、
もっと生きててくれれば、
いずれ私たちは80代の老夫婦としての生活があったはずだ。


妻も80代ともなれば、
見た目も50代のとは違ったものになっているだろうが、
妻と強くつながっているという意識があれば、
妻と私の関係で、年齢は関係ないものになっているだろう。


私も年を重ねることで、
今以上に人間というものがよくわかってきて、
やさしさや思いやる心が増して、
妻を包み込むように愛することが出来たはずだ。


目指していた“夫婦のカタチ”への道は途絶えた。
相手がいないことには、“夫婦のカタチ”は作りようがない。


でも、
一方通行であっても、妻に話しかけることは出来る。
こちらの話しかけに対して、返しはないが、
“返事のイメージ”なら描くことは出来る。


私の記憶に残っている、妻の声、顔、表情、癖を総動員して、
頭の中に描かれた妻が、私の話しかけに答えてくれるだろう。


リアルな妻との会話にはほど遠いが、
微かであっても、妻の存在を感じることは可能だ。





人間は

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