これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私の人生は3種類

人は、その人でしか持ち得ない「過去」をそれぞれ持っている。


私の過去は、私だけのもの。
私しか経験してない過去だ。


特に過去の中で、妻と生活した24年半は良かった。
これがないと、私の過去は、
平凡な過去になっていたであろう。


この24年半を長いと見るか、短いと見るか。


愛する人との生活が、
60年位だった人もいれば、
数年で終わった人がいることを考えると、
長いのか短いのかは、はっきりとは、答えられない。


でも、
妻と出会うことがなかったら、0年ということになり、
それを考えると、24年半については、
神様に感謝しなければならない。


妻を知らない生活37年、その後、妻との24年半の生活を経て、
妻を想う生活に入っている。


妻を想っている「今」は、刻々と過去へ移動している。


より良い「今」を作っていけば、
自動的にいい過去が積み重なっていくことになる。


妻を想うことは、
心地よくもあり、苦しくもある。


妻を亡くしてからは、


「お金」や「健康」を馬鹿にしがちだったが、
妻を想う力は、
想いだけでなく、
「お金」や「健康」から来る “安心の力” も必要だと考えるようになった。
「安心」を土台にして、心置きなく妻を想えばいい。


そうすれば、
いい「今」が出来上がり、それが、「過去」へと変換され、
人生の第三ステージである “妻を想う期間” も、
いい過去に仕上がっていくだろう。


そして、
「今」と「未来」のすべてが「過去」に変わった時、
妻と歩んだ私の人生は終了する。

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