弱い人からもらえる感動
外を歩いていると、蝉の鳴き声が聞こえるようになった。
家にいる時、
毎年、バルコニー前の木から聞こえていたのだが、
今年は、聞こえて来ない。
その理由は、
最近、木の剪定が行われ、枝や葉が減り、
蝉が寄りつかなくなったからだろう。
蝉の鳴き声を聞くと、
妻が毎年口にしていた言葉が、頭をよぎる。
「蝉さん偉いね。目覚ましもないのに、毎朝4時○○分に鳴き始めるのよ」 と.
蝉の寿命は短い。
成虫になってから、1週間から1ヶ月と言われている。
蝉など昆虫や動物を見てると、
印象として「生きている」になる。
これに対し、
人間を見ていると、「生活している」になる。
ただ、人間の中には、
「生きている」という表現が当てはまる人もいる。
小さい子供、80歳を超えてるお年寄りなどがそれにあたる。
これらの人には、普通の大人に比べて、
世間的には弱いという分類になる。
弱いとされる人や昆虫や動物は、強くないが故に、
「命」というものをより意識させられる。
妻も、見かけ、声、心、すべてが弱々しかった。
(芯は強いと思っていたが・・・)
妻は、
「生活している人」ではなく「生きている人」
の方だった。
そして、命は短い人だった。
「弱いけれど生きている人」を見ると、なぜか感動する。
妻は、何をするでもなく、
その存在が、私に感動を与えてくれていた。
妻が亡くなってからは、
感動の量が減った。
何もしないのに、人を感動させる人がいることを、
妻を見て知った。