これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「心」というもの

「心」というものについて、考えてみた。


「心」について説明しろと言われても、説明はむずかしい。


なぜなら、
どこに存在するかが不明だし、
実体がはっきりしない。
個体でないことだけは確かだ。


神様は、人間に、顔、脳、手足、胴体などを与えた。


見えるものとして、それぞれの個性となっている。


それに加えて、
見えないものとして、神様は、「心」というものを、
人間に備え付けた。


「心」は、
手足や脳のように、
物を動かしたり、移動したり、計算したりするような
作業は出来ないが、
感情という世界の中で、いろんなことをやってくれる。


脳と心は同じものにも見えるが、
心は、
脳を中継した現われ方はするけれど、
脳とは別物で、単独のものと考える。


そもそも、心というものは、必要なのか。


結論を言うと、必要だ。
特に、私のような、死別経験者にとっては、
なくてはならないものだ。


脳は、妻の映像を映し出すことまではしてくれるけど、
そこまでで終わってしまう。


その映像を見て、いろいろな感情が出るのは、
心があるからであり、
心があって初めて、人間になれるのである。


いろいろ書いたが、
私は、脳科学者でも心理学者でもなくて、
これは、だだの一老人が考えていることです。


“心”は、
人間の備えたもの中で、
唯一、妻を呼び寄せる作業をしてくれる。


そのため、
呼び寄せた妻と会話をすることが出来る。
(妻からの実際の声はないが、腹話術のように、想像した妻の声との会話が出来る)


毎日、妻と会話が出来ているのは、
私が、“心”を持っている ということだ。

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