これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻と喪失感

何かを失った時、
喪失感というものが訪れる。


26日の木曜日から、インターネットが繋がらなくなり、
今日までの5日間、ネットを使わない生活を送った。


普通にあると思っていたものが無くなり、
少し大げさかもしれないが、「喪失感」らしきものを、
5日間味わった。


線の抜き差しや、プロバイダーの会社に相談したりしたが、
回復しなかった。


最終手段として、NTT東日本に来てもらい、
見てもらったところ、
電話回線の小さな欠けが原因だと分かり、
そのコードを交換することで、繋がった。


これは、小さな喪失経験だが、
私は大きな喪失経験をしている。


妻を喪うという経験だ。


私は、
1993年4月から2017年9月まで、24年半、妻と向き合っていた。
その後の6年は「喪失感」と向き合っている。


食べ物で言えば、最も好きなものから、
最も嫌いなものを毎日食べるようになった感じだ。


ただ、この「喪失感」は、
妻との出会いがなかったら、生じていないものだ。


「妻」と「喪失感」は繋がっている。
変な言い方をすれば、
「妻」から「喪失感」にバトンが渡されたとも言える。


妻=喪失感 ではなく、妻≠喪失感 でもなく、
妻 ≒喪失感 であろう。


その関係は、
「喪失感」に「妻」が内包されているとも言える。


表面は喪失感しか見えないが、その中には妻がいる。


そう考えると、喪失感を100%嫌うことは出来ないはずだ。


しかし、、
100%好きになることも出来ない。


喪失感は、完璧なまでに妻を隠しきっている。


私は、
喪失感をかき分けながら、妻を見つけ出す作業が、
日課となっている

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