これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

高いハードル

パソコン内の妻の動画を整理していたら、
2014年11月に、1泊旅行で「伊東」に行った時、
宿泊先に置かれていた卓球台で、卓球をする二人の動画があった。


決して運動神経の良くない妻は、
度々空振りをしていたが、


その都度、「フフフ」と、口を手で押さながら、微笑んだ顔で、
ピンポン球を拾いに行く姿が、“妻”を感じさせてくれた。


妻の動画の中で、
“いい雰囲気”を醸し出している動画の1つだ。


こちらが打ち出した球を、妻が返す。
妻が打ち出した球を、私が返す。


このように、二人で作り上げたラリーは、
二人の繋がりを感じることが出来、
いい情景だ。


妻とは、年4回くらいのペースで旅行に行っていた。


旅行は、
非日常の空間が二人を包んでくれることで、
より二人の生活に彩りを加えてくれた。


しかし、妻が亡くなってからは、
6年間、1度も旅行には行っていない。


頭の中にいる妻に話しかけることはあるが、
こちらが打ち出したピンポン球は、頭の中で溶けてしまい、
以前のようには返ってこない。


ラリーが成立することはない。


相手が打ちやすいように球を出してやる。
そういう気遣いが、
“生きる感覚”を刺激してくれていた。


ラリーのない生活。


相手がいないから、一人寂しく、
壁打ちするしかない。


相手が、
“妻”から“壁”に変ってしまった。


“壁”を、“妻”と同等に思えるようになるには、
相当、心の修行が必要だろう。


ハードルが高すぎる。

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