これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私を支えているもの

“妻がいた時”と、“一人になった今”とを比べてみた。


健康面では、良くなったことが多い


妻がいた時は、腰痛がひどくて、
5年間休止していたテニスだったが、
妻が亡くなった翌々年より再開し、


当初は腰をかばいながらのテニスだったが、
3ヶ月ほど前から始めた独自に考えたストレッチ効果が、最近出始め、
そこそこフルスイングしても大丈夫になっている。


今年に入って、小学校が区民に開放している屋内プールに
週2回行っている。
65歳以上は無料なので、スポーツジムのように
お金を使わなくても運動が出来ている。


食事面では、
今年から、圧力鍋でご飯を炊くようになり、パックご飯は辞めた。


パックご飯も最近は美味しくなったと思っていたが、
実際に炊いたご飯を食べると、本当に美味しくて、
妻がいる時にそうしていたらよかったのにと、
残念に思っている。
(妻は料理をしない人だったので)


こう見てみると、
妻がいた時より、健康面では充実していると言える。


お金の面では、
生活費が2人から1人になったため、
貯金の減り方は緩やかになっている。


このように、
物理的な面では、妻がいた時よりも明らかによくなっている。


しかし、
精神的なものに目を移すと、
明らかに悪くなっている。


いるべき人がいないことの心のダメージは、
ボディブローのように効いている。


本来なら、ノックアウトでダウンするのだろうが、
物理的な充実の支えがあるため倒れないのであろうか。


いや、
物理的な充実は、私を喜ばせるほどの力は持っていない。


それでも私がダウンしないのは、
妻が見えない力で私を支えているからなのか?

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