これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

俯瞰的見方

妻の死という経験をしたあと、
喪失感を抱えた人生になってしまったが、
心の質に目を向けると、
以前より、成長しているように感じている。


自分のやってること、他人のやっていることを
俯瞰して見るようになった自分に気付く。


妻が死んでいくのを見て、
「生」と「死」、「命」というものを考えるようになったことが、
そうさせているのだと思う。


この俯瞰的見方は、
自分の価値観を大きく変えた。


人が、目の前のことで右往左往している姿を見ると、
そんなこと、長い人生のスパンで考えると、
小さなことなのになあ とか、


お金や世間的地位などを得て、舞い上がっている様子などを見ると、


そんなことで喜んでいいのかなあ とか、


そんな反応をするようになった。


私が私を俯瞰するようにしたところ、


「私の人生は、残念だけれど今こういう風になっているんだな」
と冷静に現実を見るようになり、
頭の中のゴミが取り除かれ、クリアになっている感覚がある。


俯瞰して見る とは、
高い視点から、鳥が上空から地上を見ているイメージになる。


昔、ある男優が、
ビルの屋上から下を眺めて言った言葉で、
「たくさん人が歩いているけど、このように上から見ていると、
人間って小さいな と思い、
今自分が悩んでいることなんて小さいもんだ と思えるようになった」
と言っていたのを思い出す。


「喪失感」を俯瞰して見ながら、
与えられた私の残りの人生をどう生きるか。


まだ、はっきりしたものは得られていないが、
ある時に、
ふっとヒントが目の前に提示されるような気がしている。


焦らず、時間の経過に身をゆだねて、
案内板が目の前に現われたら、
それに従って歩めばいい
ぐらいに考えている。

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