これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妥協力が身につけば

私の人生は、大きく二つに分けられる。
妻が亡くなるまでが前編、それ以降が後編。


この前編と後編の間には、大きな溝が出来ていて、
言ってみれば対立している。


後編から見ると、輝いている前編が羨ましく、嫉妬さえ覚える。


前編には、家族が存在し、共感し合える相手がいて、
人生に対し、真面目に取り組もうとする要素があった。


しかし、後編には、
その様な温かいものは存在していなく、
穴の開いた風船に、一生懸命空気を入れている生活という
表現が近いと思う。


生きているのが、無駄に思えることもある。


「前編」は過去の出来事、
「後編」は未来の一部である「今」と「未来」で成り立つ。


“嫉妬”や“落胆”は、
「今の生活」を、「過去の生活」と比べることで起っている。


比較しようとしない自分を作り上げれば、
問題は解決しそうな気がする。


「前編の人生」と「後編の人生」の間に、
先方が見えない壁を作れば、比較するものがなくなり、
“嫉妬”や“落胆”は、発生しなくなるはずだ。


人生を二つに分けるということだ。


前編にいた自分をA、後編を生きている自分をBとして、
私自身も別の人間としたなら、なお良いかも知れない。


でも、人生を、そう簡単にバシッと二つに分けていいものか。


過去に一人の女性を愛し、
現在、姿はなくても、その人を想い続ける姿は
悪いものではない。


「過去」も「今」も、一つの人生でいいのでは と思ったりもする。


過去にこだわり続ける姿がかっこ悪いとは思わない。


妻がいなくても大丈夫と思える“妥協力”が身についていけば、
更にいいだろう。

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