これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

人生は、山と谷を繰り返す

人生には波があり、山と谷を繰り返す。


私は、若い時は、
山の状態の時、
これが私の実力であり、私の人生だと思い込みがちで、
そのあと、ドーンと一気に下り、
谷の状態になることが多かった。


すると、今度は謙虚になり、しばらく、この状態に耐えていると、
再び山の状態になる。


すると、また自信過剰となり、謙虚さが失われて行った。


これを繰り返していた。


年を取ると、この波のサイクルを把握するようになったことで、
山の状態でも謙虚であり続けるようになった。


すると、山のあと、ドンと谷に落ちることはなく、
落ちたとしても緩やかに落ちるようになった。


この経験を振り返って考えていると、
神を感じることがある。


山の状態で、はしゃぎ気味だった心を、
神が戒めていたのではないかと。


神様という実体はなくても、
このような現象・原則が神様なのかもしれない。


しかし、
この原則が当てはまらないのが、「死別」であった。


妻の死は、それまでの谷とは比較できないほどの深いものだった。


「谷の後には、山が待っている」という原則は
当てはまらないものとなった。
初めてのケースだ。


いくら上に登ろうとしても、地上への出口に蓋をされているので、
それ以上は登れなくなっている。


視点を変えて、
人生を俯瞰することにより、スパンを拡げた見方をすると、


妻との23年半が “山” であり、
その後が“谷”になっているという見方も出来る。


今の “谷” の生活が23年半とすると、
平均寿命に近い85歳まで “谷” を経験した後、
85歳で亡くなることになる。


その後、波が続くとしたら、
亡くなった後に “山” が来ることになる。


妻に会えることを指すのか。


それとも、
“山” は来ず、永遠の “平地”、即ち “無” となるのだろうか。

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