これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

退屈ではない、幸福でもない日々

テレビで、ふたりの100歳の女性が紹介されていた。
1人は、食堂で週6日ラーメンを作るおばあちゃん、
もう1人は、今も現役の化粧品販売員。


2人とも、言葉が途切れることなく出てくるし、
姿勢が良く、動きも老人の動きではない。


100歳でも不自由なく生きている感じだ。


一方、
70代の芸能人が亡くなるニュースを今年は多く耳にした。


自分は、どちらになるのだろうか。


妻が、私の寿命を決めてくれるはずだ。
妻が決めたことは、快く受け入れられる。
70前半でもいい、90歳でもいい。


これから先、1人の生活が続くが、
1人でいるのと独りぼっちは違うと思っているので、
何とか、退屈せずに生きていけるはずだ。


ただ、愛する人がいないのは、つまらない世界だ。


確かに、今の生活は、
退屈ではないが、つまらない日常を感じている。


人は、愛する人がいることが、幸福感につながっていく。


愛する人は、1人でいい。
複数はいらない。


でも、
その1人は、遠い世界に行ってしまった。


私は、その人の思い出だけを頼りにして生き続けている。


いない人を愛することは、出来なくはないが、
やはり、
いる人に対してと、いない人に対してとでは、雲泥の差がある。


“愛する”という、
無償の行為、そして最も人間らしい行為を剥奪された私は、


退屈ではない、幸福でもない日々を淡々と送っている。

×

非ログインユーザーとして返信する