これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

またまた新年が始まった

また、新しい年を迎えました。


多くの人は、年初に、仕事やお金、健康、自分磨き 等の立派な目標を
立てるのでしょうが、


私の場合は、特に目標はなく、
強いて言えば、
引き続き、粛々と終活作業を進めることでしょうか。


突然、室内で倒れるとも限らないので、
遺品整理で来るだろう親族に迷惑をかけないようにするため、
最悪の事が起った場合に備えて、
事前に出来ることはやっておきたいと思っている。



ここ3、4年、元日にやることはルーティン化しており、
自転車で30分ほどにある、大型ショッピングセンターに行き、


福袋(レトルトカレーの詰め合わせ)を買い、
センター内にあるスポーツ店でテニス関係のものを買い
出してないけれど届いた年賀状へ返信する。


今年も、ほぼ同じパターンだったが、
テニス関係のものは買わず、ビデオカメラを買った点だけが去年と違った。


旅行には行かなくなったため、ビデオカメラは要らないとも思ったが、
今持っているビデオカメラが故障していて使えなくなっており、
何かの時に、必要な場面があるかもしれないと思い、
元日限定10台限りの商品で格安(ネットで調べるとほぼ半額の25800円)であったため、
購入した。


ショッピングセンターでは、
次から次へと、家族連れとすれ違った。


自分が経験出来なくなった情景なのだが、
特に羨ましいという感情は出てこない。
親子連れが多かったせいがあるかもしれない。


私が寂しさを感じる情景は、
老夫婦がお互いに信頼しあった感じで並んで歩く姿を見た時で、
あると思っていてなくなった “自分の未来に対する欠乏感”
がそういう思いにさせるのかもしれない。


親子連れを見ていて思うのは、どの子供も かわいく 見えること。


なぜ かわいい と思うのか考えてみた。


大人にない動きをすることもその一つではあるが、
もう一つ、
比較をしていないところ なのかもしれない。


どの子供も、歩く姿が、
親に100%頼っているように見える。


この親の存在がなくなると、自分は死んでしまう
と無意識のうちに感じているのかもしれない。


この時点では、他の親との比較をすることはない。


比較が出来るような年齢になると、
親のことを、最近の若い人が使う「ウザい」対象と見る人も出てくる。


この年齢になると、比較をしない小さな子供の “かわいさ” は、なくなってくる。


妻は、私を他の男性と比較することをあまりしなかった。  と思う。


子供と同じ特性を持っているように感じていた。


そこが、妻を かわいく 思えた理由かもしれない。


ショッピングセンターのように、たくさんの人でごった返すところを
歩いていると、いろいろな会話が耳に入って来る。


後ろを歩いていた10代後半に見える女の子3人組の会話が聞こえてきた。


将来の結婚の話の中で、
「結婚式挙げたくないわ」「何となく恥ずかしいと思わない?」
もう一人の女の子が、「私、結婚式で、父親と絶対入場したくないわ」
と言った。


実は、結婚式での入場の際、
妻は、父親との入場を拒んで、結局、私と腕を組んで入場することになった。


他人の会話が、私の結婚式の思い出を、
引っ張り出すことになった。

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