これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

与えられた役割

もしかして、人はその人にしか出来ない役割・使命を与えられて
生まれて来てるのかもしれない と時々思うことがある。


だとしたら、
私の場合、どのような役割・使命が与えられたのか。


考えて見た。


妻を幸せにすることが、私の役割だったのでは。


そして、私が役割を果たすべく対象として、
私に遅れて5年後に妻は生まれてきた。


その役割を果たせる時が、
生まれてから38年後にして、やっとやってきた。


だいぶ遅れてやって来たという感じだ。


ところで、役割は果たせたのか?


残念ながら、役割を果たせたとは言えない。
30%位しか果たすことが出来ないまま、時間切れとなった。


もう少し時間を与えてくれたら100%果たせる自信はあったのに。


マラソンではないが、後半に備えて力を温存しすぎたか。


もう一度、チャンスを下さいと懇願しても、
神様の答えは、仕組みとして、それは変えられないとのこと。


あきらめるしかない。


私の役割として、その対象がなぜ妻になったのか。


自分に自信を持っている女性の “もっともっと の欲求” を
満たすような役割は私には向かない。


少し生きづらさを持っていて、“普通に生きたい”
だけを求めている女性を見ると、
私は、無性にその人を幸せにしたくなる。
妻は、私の求める対象にぴったりの人だった。


でも、
幸せにするという役割 を果たせないまま、
対象である妻はいなくなった。


当たり前だが、不幸にはしてはいない と思う。
しかし、十分に幸せにしたとも言い切れない。


もう一度だけ、
神様に再挑戦のチャンスをお願いして見ようと思う。


それでも、断られたら、諦めます。
たぶん、断るだろうけど。


以上のように、
ものごとを運命づける考え方もある。

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