これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“見える妻”と、“見えない妻”

妻を亡くして、
私の人生は180度変ってしまった と、
ずっと思いながら、生きてきた。


でも、
最近、妻がいた時と今は、
変っていないのでは と思うようになりつつある。


もう少し詳しく説明すると、


以前も妻を愛していたし、
今も愛する人は、妻だということ、
この点は、何ら変っていない。


違っているのは、
“見える妻” を愛していたか、
“見えない妻” を愛しているか、 だけだ。


以前は、「見える」か、「見えない」か が、
私にとって、とても重要だった。


“見える妻” と、“見えない妻” は別物だという意識が、
喪失感に繋がっていた。


最近、
“見える妻” と、“見えない妻”  は同じではないか
という感覚が芽生え、
すると、
私は妻を喪っていない と思うようになった。


そう思うと、
不思議と心の安定を感じるようになった。


この感覚がこのまま続くとは思っていないので、
再び喪失感が戻ってくる場面があると思うが、
少なくとも、今は、このような感覚になっている。


私にとって、
妻を想う毎日は、とても充実感を覚えている。


喪失感が軽減されている今においては、
より一層そう思える。


喪失感が再び現われた時、
毛嫌いせず、やさしく出迎えてあげたいものだ。
喪失感を敵にしない方がいい。


ちょっと、余裕の言葉を発しているが、
再び喪失感に面することになった場合、
また悲嘆状態に陥るかもしれない。


それだけ、喪失感は強烈な力を持っていることは知っている。


余裕のある状態の今のうちに、
再び喪失感が現われる時に備えて、
喪失感の攻撃に負けないよう心を強化して、
免疫を増やしておきたい。

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