これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

盆踊り

自宅から最寄りの駅に行くまでの道沿いにお寺がある。
そこで毎年8月に盆踊りが行われており、 
今年は7月31日から8月3日までの4日間、開催されている。


境内に大きな櫓を組み、その周りをたくさんの人が踊り
更にその周りにテーブルが置かれ、
見学者はそこに座って、
屋台や露店で購入した食べ物やビールを飲みながら見学したり、踊りに加わったりする。


数年前、妻は、私の休日に、この盆踊りを見に行こうと誘ってきた。
せっかくの休日でゆっくりしたかったのだが、妻の誘いなので行くことにした。


盆踊りは19時からなのだが、妻は1時間以上前に出かけようとしている。
そして、私に「のらちゃん、せっかくの休みだから、ゆっくりしていていいよ。
私が先に行って、席を確保しておくから」と言って出かけてい行った。


私は、開始時間の5分程前に会場に到着した。
たくさんのテーブルにたくさんの人がいて、周りを見回していると
最前列のテーブルから「のらちゃーん」と言って、手を振る妻がいた。


妻が確保していた椅子に私が座ると、「のらちゃん、何か買ってくるから座ってて」
と言うので、ビールやおでんを頼むと、妻は露店の方へ向かった。


しばらくして戻って来た妻は、ビール等をテーブルに置くと、
今度はすぐに自分が食べるものを買いに行った。


そして、二人で1時間半ほど会場に滞在した後、家に戻った。


妻は、旅行の時や、この様な催しに参加する時、
やり過ぎと思えるくらい、一生懸命、私のために尽くそうとしていた。


なぜそのような行為を妻は愚直に行っていたのか。


妻と暮らしている時は、その理由を考える事もしなかった。
今、振り返って考えてみると、妻のそのような行為の理由が分かってきた。


普段、妻は料理などの家事をしない人だった。
妻はそのことを気にしていたのかも知れない。
それで、こういう行動を取っていたのかも知れない。


一昨年、妻の闘病中、
私はバイトを終え、
地下鉄の駅で、地上に出るためのエレベーターが降りてくるのを待っていた。
側面の壁に目をやると、「沿線便り」いうポスター貼られており、
この盆踊りの紹介が載っていた。


それを見た瞬間、
私のために一生懸命動いている妻の姿、そしてテーブルから手を振っている妻の姿が
はっきりと頭の中に映し出された。


すると、涙がどっと流れ出てきた。
エレベーターに乗り込む人が数人いたが
どうしても涙を止めることが出来なかった。


体を震わせて泣いたほどであり、
癌の告知から今に至るまでで、最も悲しさに耐えられなかった瞬間だった。


妻がいなくなった昨年は、
ふらっと10分程だけ会場に顔を出し、ビールを1杯だけ飲んで帰った。


今年も、8月1日
1人で盆踊り会場に向かった。
部屋を出る時、普通は遺骨箱に「○○に行ってきます」と声を掛けるのだが
今回は、一緒に出かけるという意味で、「さあ、出かけますよ」という声掛けにした。


今年も境内の中は人がいっぱいで、人の間を縫うように前へ進んだ。
歩いているうちにやはり涙が目に貯まってきた。
しかし、暗いので、顔は見えても目の涙までは見られていないはずなので、
感情を抑えることはしなかった。
まあ、知らない人ばかりなので、見られても構わないのだが・・・。


たこ焼き、そしてビールを買って、立った状態で踊っている人を見ていた。
10分位で帰ろうかとも思ったが、
私の体の中に妻がいるのだとしたら、10分だと妻は不満だろうと思い
20分位滞在した。
しかし、妻の魂の存在を完全に確信している訳ではないので
更なる滞在時間にはならなかった。


一緒に盆踊り会場に来ることが出来たことを、妻は、喜んでいるに違いない。
来年も、短時間だが、来ようと決めている。


私に尽くす妻の姿を見ることは出来ないが・・・。

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