これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑰

8月1日、
朝、カーテンを開ける時,
妻は、バランス崩して倒れ落ちてきた。


10:15 主治医の訪問診療があった。
 血圧114/68 介護保険証をコピーし先生に渡した。。


妻「息が切れる。トイレと風呂だけはやれている。
死なないのが怖い。早くお迎えが来てほしい。1年で逝けるでしょうか。最長何年?」
主治医「食事のとり方等で・・・。水分は必要です。」


本当は少しでも長く生きたいと思っているはずなのに、
妻独特の言い方でこういう風に言う。


死ぬという最悪の状況を作りだし、
それに対し、自分はまだ生きている。
比較を作り出すことで、安堵感を持ちたかったのでは


妻は死への恐怖と戦っているのだ。
それを察しないといけない。


8月2日
妻から頼まれた「白髪染めトリートメント」を買うため
自転車でドラッグストアへ行った。


8月3日
地図で調べると自転車で5分ほどのところにある
ムース食宅配弁当を扱っている店を下見した。 
外から見て選択の対象にならないと思った。


先日電話で問い合せた葬儀社への申し込みを行った。 


妻、リンゴ1片のみ食べる 
妻「命をつないでいるのはバナナと食べるヨーグルト」


14:00 ケアマネのIさん来訪。
妻「早くお迎えが来てほしいんです。」


8月4日
体重35.5㎏ 「歌舞伎揚げ」を食べ始める
ケアマネIさんが来訪。
居宅介護支援契約を交わす。


妻は、私の部屋にある全身が映る鏡を見ながら、
「こんなに痩せて、もう終わりかな」
とつぶやいた。
何か言葉を掛けてあげたかったが、言葉が出なかった。


23:00 妻が私の部屋に入ってきて
妻「私がかけているラジオもうるさいだろうし、そちらの部屋で寝てもいいのよ。」


本心と反対のことを言う妻独特の言い方だ。
自分の部屋に早く来てほしいということだなと理解し。


私は「これからそっちへ行くよ」と言って
二人が寝るベッドへ移動した。


8月6日
義姉(長女)より妻の容態伺いの電話があった。 
「近くでお茶しながら妻に会えないか?」ということだったが、妻は拒否、
私から義姉へ「難しいと思います。」と伝えた。


8月7日
ケアマネのIさん来訪(私はアルバイトに出かけ、同席せず)。
居宅介護支援利用料について
介護サービスということならば1割負担だが、
医療サービスという扱いになれば、3割負担になる
という説明があった。
義姉(次女)より妻にメールがくる。


テレビのドキュメントの中で、中東の女性が生活のため売春しているのを見て
妻が私を責めてきた。


妻「1つ聞いておきたい。働かないとお金を与えず妻を路頭に惑わし、
虐待してもいいと思っていたのか。」


働く素振りを見せない妻を以前私が責めたことについて、私を攻撃して来た。


妻は2ヶ月前にも私を責めてきた。
その時は、倹約を強いたことに対してだった。


どちらも、お金に関するものだ。


今回も
私は、2人の老後のより良い生活のためだったと説明し、
お金に関して厳しく当たってしまったことを詫びた。


妻は、私の説明を聞いた後、
ベッドで横にいる私に足をすりつけて来て「大好き」と言った。


妻は不安と大きなストレスを抱え、心が不安定になっているように思えた。


8月8日
体重35.3㎏
主治医の往診があった(私は用事があり同席せず)
血圧118/68 脈拍118 経皮的動脈血酸素飽和度 (SPO2)98%


妻「右肩に痛みがある」


主治医「動かしたときの、痛みはなかなか改善することは困難ですが、
痛みで眠れないような場合には別のタイプの薬を追加します。」


妻「痩せてきて寝るだけになりそのまま亡くなっていく。」


主治医「悪性腫瘍の場合、食欲がなくなって体力が低下していくのは自然な経過です。
寝ていることが多くなりそのまま旅立たれることが多いです。
苦痛症状がないように治療を継続して行きます。」


私は新宿で用事を済ませた後、
新宿にある葬祭店のショールームに立ち寄り、ミニ骨壺のパンフレットをもらった。


私は、帰宅後、調剤薬局へ薬を受け取りに行った。


18:10 調剤薬局のH氏およびケアマネのIさん来訪。
「薬受け取り契約」を交わす。


夜、
妻「田舎には帰らないでほしい。死ぬんだから。」
私は「母親の1周忌が11月にあるけど、姉たちに任せるよ」と答えた。


妻「これからは洗濯をお願いしたい。」
私「わかった」


8月9日
ムース食届く
妻「私、食べない」 
それでも、夜、妻はそれを食べ「美味しい」と言った。


妻「35.5㎏。少し増えた。「歌舞伎揚げ」のせいかな?」


妻は“クマの絵のある缶箱”を私に見せて、
「お骨はこれに入れてくれるかな?」と言った。


私「いいよ」


妻「テレビの横に置くの?」


私「ベッドの隣」


「ほんと」妻は、嬉しそうな顔で答えた。


妻「シチューを食べることにした」


8月10日
午前、私は、区役所で高額医療費申請を行った。


妻「あのお菓子美味しかった。いろいろありがとうね」
私「お菓子じゃないよ。ムース食だ。」
「24年間のお返しをしているだけで、まだ足りないくらい。どんどん何でも頼んできて」


アルバイトの帰りに、地下鉄駅に貼ってある「お寺の盆踊りのポスター」を見て
妻との思い出が湧き上がって来て、涙が出てきた


夕方
妻「主治医の先生も、ずっと寝てていいですよと言っていたので、寝る」


妻が亡くなるまで、あと58日

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