これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

手をつないで歩く風景

80歳前後の老夫婦が、手をつないで歩いている。
1メートル進むのに3秒位かかるくらいの速度でもって、すり足で歩いている。
この夫婦を見るのは2回目でその時も手をつないでいた。
以前見たときは、
私が住んでいるマンションから出てきており、ここに住んでいるのだろう。


二人とも穏やかで幸せそうな表情をしている。
「微笑ましいな」と思う。


それと同時に、比較軸が頭の中に現れ、
「私達夫婦はどうなんだ」という気持ちになる。


妻はいなくなり、私は独り。
そのギャップで胸の中に寒い風が吹く。


「手をつなぐ風景」がもう一つある
土日に、父親と小さな女の子が手をつないで歩く姿をよく目にする
この風景でいいと思うのは、女の子が父親を全面的に信頼して頼っている姿だ。
ウキウキしている雰囲気を醸し出している。


まだ自立していない女の子にとっては父親が唯一頼れる存在だ。
周りが目に入らず、父親だけしか見ていない振る舞いは
愛らしく感じる。


そういう女の子の動作を見ていると、
私と手をつないでいる妻の姿が被ってくる


ここでも比較軸が現れる。
「私と妻もこの様な風景を作り出していたはずなのに」


二人で出かけるとき、いつも妻の方から手をつないできた
妻は、手をつなぐことで、私とつながっているという安心感を得ているように思えた。
小さくて柔らかい妻の手を握っていると、
私は妻への強い愛情を自然に感じることが出来た。


以前、
「今欲しいものは何もなくなった。
しかし、入手不可能なものではあれば「タイムマシン」がほしい」
と書いた。


それがあれば、“妻を死なせないように”歴史を操作することが出来る。


以下はSFの話。

“Ifの世界” もし妻が生きていたら

「パラレルワールド」
この言葉を調べてみると


「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」

タイムトラベルで行き着いた先は、
“実際は現実に酷似したパラレルワールド”であり、
どの時間軸で歴史を変えようとしても、自分がいた元の世界には影響しない。


観測することは不可能であり、その存在を否定することも肯定することも出来ない

と書いてあった。

私の頭では、この文章を十分に理解することは難しいが、
興味をそそる対象であることは間違いない。

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