これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

なぜ「健康診断」を受けるの?

8月22日、午前、区の健康診断を受けるため、いつも受診しているクリニックへ行った。
毎年受診している。
無料である。


身長、体重、腹回り、血圧、眼圧、バリウムによる胃の検査、心電図、採血
と盛りだくさん。


一つ気が付いたことがある。
職員の顔ぶれが、1年前に比べ、全く変わっていることだ。
ほとんど総入れ変えに近い。
でもいい方に変わっている。


以前いた職員は、全体的に、何かに不満を持っているような表情で
愛想がない人が多かった。
今日、接した職員は、全員キビキビとした動きで、愛想も良かった。
病院が考え抜いた効率的な流れと、それを忠実にこなす職員が手際よく誘導してくれて
気持ち良く1時間で終えることが出来た。
この変化、何があったのだろう?


ここは、妻が再検査でがんを告知されたクリニックだ。
妻は告知の5年前から健康診断を受診しなくなっていた。
我慢出来ないくらいの腹痛と血便があり、検査を受け、
直腸癌が見つかった。


健康診断の結果は絶対的なものではないが、受けたことで命が助かることも多いだろう。
残念だ。


ところで、私は、なぜ毎年欠かさず健康診断を受けるのだろうか?
もう長生きする必要もなくなったはずなのに。


多分、
長生きする理由は無くなったのは確かだが、
早く亡くなる理由も無いからだろう。


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家に戻って、テレビをつけ、高校野球の決勝戦を見た。


履正社が星陵を破り優勝した。
星陵の選手達は、みんな泣いていた。


その涙は、「優勝」という、求めていたものを、
目の前で失ってしまった無念さから出ているのだろう。


私の場合は
着々と準備をして来たにもかかわらず、
「妻との老後の生活」が、直前で壊されてしまった。
涙が出るのは。その無念さからだ。


高校球児の場合は、敗退は確かに辛いが、人生、それで終わりではない。
まだ未来がある。
しかし、伴侶を亡くすることは、代わりがないということ。
すなわち、未来はないということだ。

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