“家庭”を 持っていないことに気づく
近くにスーパーが無く、そこへ行くためには、
10分程、自転車を漕いで行くことになる。
往復20分程となる。
その区間は比較的人通りが多く、たくさんの人とすれ違う。
土日曜はほとんど家族連れだ。
ほとんどの人が幸せそうな顔をしている。
家族感が満載の中を、
私は、自転車で通り抜けていく。
私の場合、このような幸せそうな情景が目に入っても、
不思議と嫉妬心は出てこない。
寧ろ、ほのぼのとして、いい光景だと感じ、心が温かくなる。
この場面では、
相手だけに目を向けて、
自分との比較をしない自分がいる。
しかし、自分に目を向けると、比較をしてしまう。
“自分の惨めさ”を思いのほか感じてしまう。
周りは、私が持っていない“家庭”というものを持っている。
“家庭”という、幸福につながる最も重要なものを、
私は比較することで、持っていないことに気づく。
他人が持っていて、自分が持ってないものがあった場合、
努力することで、大抵は、自分も持つことが出来る。
そうすることで、当初存在した“比較から来る劣等感”を
消すことが出来る。
しかし、
死別により“家庭”を一度失ってしまうと、
それを取り戻すことは、不可能となってしまうのだ。