これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

 “喪失感が軽減される” 考え方

私は、次のように考える時、
喪失感が軽減され、少しだけ、気落ちが楽になっていることに気づく。



神様は、すべての 「人」、「動物」、「植物」等に対して、
人生のストーリーを決めている。
それもすべてに理由があって決められている。


妻が亡くなった日時や、死ぬまでの過程、
それらすべてが、決められていたということだ。


私においても、生まれてから今日まで、決められた通りに進んでいる。
妻との出会いもそうである。
今後も、これから死んでいくまで、決められたストーリーをこなしていくことになる。


そう考えれば、
妻の死はシナリオ通りであって、
「こうすれば妻は助かったかもしれない」、「こうすれば良かったのでは 」などの
後悔は無くなる。


私は、妻の死を悲しまないで、次の展開を待っていればいいだけだ。
神様が決めた絵をなぞるだけでいい。
目の前にあるルーチンワークを行うだけでいい。


今後に目を向けると、
「次の展開が、私の期待するものでありますように」と、
心の中で密かに願っていればいいだけのことだ。


ちなみに私の期待する次の展開とは、


①妻と“あの世”で再会すること。
または、
②お互いに生まれ変わり、“この世”で出会うこと。
のどちらかだ。


前者は、
過去からの二人の関係が継続中 ということだ。、


後者は、
お互いが意識としては初対面だ。
一度リセットしたうえでの出会いと言える。


このどちらであっても、叶うのであれば贅沢は言わないが、
どちらかというと、あの世での出会いの方がいいかなと思う。


なぜなら、これはお互いを知っていての出会いであり、
この世で積み重ねた二人の思い出が、
あの世においても消えることなく継続するからだ。


今、私は、妻との再会までの待機期間中(ニュートラル状態)
ということになる。


謂わば、この世にいる ”私の肉体・魂”  と、あの世にいる “妻の魂”  とが、
繋がっている期間と言える。
私が死んだ後は、“魂”と“魂”との繋がりに変わる。


しかし、もう一つ、考えられるシナリオがある。
それは、「再会自体がない」というストーリーだ。


この場合、それぞれが亡くなった後は、ただの“物”になってしまうということだ。
ただの骨であり、いずれは土に帰っていく。
魂など、最初から無いということだ


次のストーリーを知ることは出来ないが
そうでないことを願いたい。

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