それって、何かの為になるの
毎日、生活する中で、
妻が亡くなってからは、
やり終えて嬉しかったことが、
全くとは言わないが、ほとんど嬉しくないことに変わってしまった。
例えば、
・健康診断の結果が良かった時、
・体重が減った時、
・持っている株が上がった時、
・上手く倹約して、お金の減少を食い止めているのを、通帳を見て確認出来た時、
・スーパーの食品売り場に到着した時、
割引シールを貼っている店員の姿が目に入った時、
・電車の乗り継ぎがことごとくうまく行き、時間のお得感を味わった時、
・人から評価を得た時、
等
以上のような些細なことでさえも、以前は幸せを感じていた。
しかし、妻がいなくなってからは、違ってきた。
それらをやり終えた直後の一瞬に快感を覚えるが、
その直後、
「それがうまく行って、何かの為になるの?」
と問いかける声が、その都度、頭の中をよぎる。
確かに、今においては、何のメリットもない。
「健康」、「お金」、「自分の社会でのポジション」
これらすべては、妻に繋がってはじめて、“いいこと”に成り得ていた。
自分一人で、“いいこと”を作ることは出来ない。
逆にうまく行かなかった時の方が、
ホッとすると共に、得をしたような気分になる。
その理由は、
必要でないことが、うまくいかなくても、それはマイナスにならないからだ。
このような感覚は、普通の人から見れば、ネガティブ思考に見えるだろう。
このような感覚から抜け出さないといけないのか
いや、これはこれでいいと思う
なぜなら、私が普通の人ではなくなっているからだ。
私は、普通の人と接する時、
時間限定で、普通の人に成りすまし、
普通の価値観を持って、相手に接している。
しかし、一人でいる時は、
「妻を思うこと」のみに価値を感じる生活に戻る。
今、私の心の肥やしになっているのは、
毎日、妻の遺骨箱を撫でながら声を掛けている時間、
妻のことをずっと思っている時間だ。