これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

供養とはどういうもの?

妻が亡くなって1年1ヶ月が過ぎた。


遺骨は妻の希望通り、手元供養として、
そのまま自宅に置いてある。


お墓に納骨するよりも、毎日24時間
妻が家の中に居るような感覚があり
安らぎとなっている。


お墓に納骨しないと成仏しない
ということも聞いたことがあるが、


故人の思いに添った形にするのが
本当の供養になるのではと考えている。


骨はただの物質であり、
魂は存在しないのかもしれない。


もしそうだとしたら、毎日遺骨に向かって
話しかけている行為は、
滑稽な姿に映ってしまうだろう。


残念ながら、魂の存在は、
残された人が希望を失わないようにするため 
人が作り上げたものだとも考えてしまう。


ただ、そうだとしたら、妻との繋がりは
完全に絶たれてしまうことになる。
それは困る。


日々の生活の中で
魂の存在を感じる瞬間に出会った時は
何とも言えない喜びを感じる。


妻に対する本当の供養は、
元気に生きている姿を妻の魂に見せること。


それを見た妻が喜ぶ。


私は、喜ぶ妻の顔が自然に頭に浮かぶようになる。


そうして私は生きる目的を取り戻すのではないか。
もう少し時間が必要だけれど。

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