これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻と私、どちらが先に亡くなればよかったのか

妻は私より先に旅立った。


ずっと私の方が先だと思っていた。


私は、4年ほど前、空腹時血糖値が140になり糖尿病と判定された。
8月に受けた健康診断では116に下がった。
それでも、まだ糖尿病予備軍の数値である。


妻は、体に良くないものばかり食べていたが、体重も若い時と変わらず
内臓が強い家系なのかなと思っていた。


でも平均寿命まで、27年も残して亡くなってしまった。


最愛の伴侶を亡くした人の共通している点として、


代われることが出来るのなら代わってあげたい
以前ほど死が怖くなくなった。
と言う人が多い。


私も妻のがんの告知日に同じように考えた。


妻の命を救うことが出来るのであれば、こんなに嬉しい選択はない。
でもそれは不可能である。


私は、妻がまだ健康な時
妻が亡くなったとしたら、自分の心はどうなるのだろうかと
何度か想像することがあった。


想像にもかかわらず、胸が締め付けられる感覚があったのを覚えている。


ただ、それは何十年も先の話だと思っていた。


妻とは、はとバスの日帰りバス旅行によく出かけた。
その時のビデオや写真は妻を写したものがほとんどで、
自分のものはほんのわずかである。


何か見えない力が、
先に亡くなる妻の映像を少しでも多く残すように
させたかのようである。


神様は、なぜ妻の命をこんなに早く奪うような
判断力がない、頭の悪い人がやるようなことをしたのだろうか。


神様は、人に迷惑をかけるような困った人で、幼稚な人と同類なのか。


ただ神様は先が見えていて、もっと深い考えを持っていたとも考えられる。


私が近い将来亡くなり、妻が寂しい独り生活になる、
あるいは、私が寝たきりになり、妻が私の介護をしなければならなくなる、
あるいは、妻が近い将来認知症になり、私のことを認知出来なくなる。


これらのことが起こるのを神様は知っていて、
妻にとっての最善の終末時期を
選んだのだろうかとも考えた。


でも、どちらにせよ、妻がかわいそうなのは変わらない。

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