これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

33年足りない

私がおぼろげに描いていた私達夫婦の理想の終末、


それは、
“私が95歳、妻が90歳まで生きて、同時に亡くなること”


同時が理想だが、それが無理ならば。
私が妻を看取るのがいいと思っていた。


順番はそのようになった。


妻は57歳で亡くなった。
私が描いていた理想の時期よりも33年早かった。


あと33年夫婦生活が送れたはずだった。


意外と、長い年数であることに気付く。
実際に経験した結婚生活24年半よりもかなり長い


その数字を見ると、喪失の大きさをあらためて感じてしまう。


父親93歳、母親は86歳、義父は86歳で亡くなっている。
義母は現在80代後半で今も健在。


どちらも、そこそこ長寿家系なので、
あながち私の描いていた理想は、
間違ってはいなかったかも知れない。


33年のギャップ、
この数字が少々気になり始めた。


妻と会話している時、
将来の介護そして認知症について、話したことがある


妻は、
いつものように、天然の とぼけたユーモアさでもって、
「わざと認知症になったふりをして、介護してもらおっと」
と言っていた。


実際に介護することになった訳だが、
がんの闘病を支える介護になったのは、想定外だった。


ある日、私が仕事を終えて、家に帰ると
妻はベッドに横になって。いつものように、
スカパーで、オードリー・ヘップバーン等が出ている
昔のヨーロッパの映画を見ていた。
(この時、妻は派遣の渡り歩きの中での、すきまの時期だった)


「仕事をしなくてもいいなら、一日中のスカパー生活は天国だわ~」
と、妻はウケ狙いで、ぐうたら生活の良さをアピールした。


私は妻の両肩をつかんで「こらっ」と怒ったふりをして。
妻の体を前後に揺すっていると。
妻は、これ以上ない満面の笑みを浮かべ、
そのやり取りを楽しんでいた。


私といっしょの時にしか見せない表情だ。
家の中では、こんなにいい表情が出るのに
外では一切見せることがなく
もったいないなあと思っていた。


他人から見ればおそらく、くだらなく見えるこの様なやり取りが
私にとっては、至福の時間だった。


あちらの世界で、
“妻は毎日スカパーで映画を楽しんでいるに違いない”と思えた時、
少し気持ちが楽になる。

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