これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「あざとい」

妻という人を、人に伝えようとしても、
なかなか伝わらない、もどかしさがある。


世間で作られた枠の中に入らない人で
独自の枠を持っていて、一般の枠に入ろうとしない人だった。


そのため、妻はどういう人だということを人に伝える時、
相手は、一般の枠に入っている人には慣れていても、
そこに入っていない妻のような人を理解するのが難しく
私の下手な説明では、
相手に本当の妻を伝え切れず、
モヤモヤとしたものを感じていた。


最近ときどき目にする「あざとい」という言葉がある。


この言葉一つを使えば、
私が妻について長々と下手な説明しなくても、
妻の60%位は説明できるのではないかと思う。
妻についての説明には、とても便利な言葉になり得る。


現代は、“あざとい女性” が増えている感じだ。


民放の女子アナの大多数がそうであり、
人気が継続している女性タレントも、そう言える。
(経済番組が多いテレビ東京の女子アナの中には少ないように思う)


これは、あくまでも、私個人が感じる印象です。


「あざとい人」とは、
良く言えば、
 相手の心の掴み方を知っている、貪欲、抜け目がない、
 モテ方を知っている、等
悪く言えば
 計算高い


客観的に見て、
確かに、人気を保つのに必須なものを、持っている人と言える。


対して、
妻は、“あざとい女性”とは、正反対の女性だった。


「あざとい」は、
大勢の人から、魅力的に映るために、
必要な要素だとは思うが、


妻と私の、二人だけの生活には、
「あざとさ」は必要ではなく、
それを持っていない妻は、貴重な存在だった。


そういう妻と、自然体で暮らした24年半は、
言うまでもなく、
人生で最も満たされ、
気持ちのいい時間を持つことが出来た。


今は、
妻の残した余韻と共に、暮らしている。

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