これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

挨拶の効用

私の住まいの近くに、大きな高層ビルがあり、
その2階に広々とした共用スペースがある。


そこにいくつかの丸テーブルが置かれており、自由に使うことが出来る。
私は、空いている時間があれば、ここに来て
1~2時間過ごすことが多い。


そのテーブルは様々な人が利用している。


そのビル内で勤務していて、
買って来た弁当を食べている人、
打ち合わせで利用している人、
リモートでの打ち合わせに使っている人もいる。


休日には、
休憩のため利用して、会話をしている老夫婦、、
読書をするおばあさん、


小学校低学年と思われる女の子が、
個別指導の若い男性の家庭教師に教わっていて、
そこに母親が同席している。


小さな子供を連れた若い夫婦が、
買って来た持ち帰りコーヒーを飲みながら会話をしていて、
その周辺を小さな子供が、はしゃぎながら走り回っている。


様々な生活風景が目に入り、
いろいろな刺激をもらうことが出来る。
家の中で、一人でいるよりはいい。


ただ、時々、“家族”を感じてしまい、
自分の置かれている孤独な現実を知らしめられることもある。


先日、いつものようにそこに滞在した後、
外に出て自転車に乗り、帰ろうとした時、
前方を見ると、
一人のおばあさんを二人の女性が支えながら、
こちらの方向に歩いてくる姿が目に入った。


よく見ると、隣の部屋に住むおばあさんと、
別の所に住みながら介護をしている二人の娘さんたちだということが
分かった。


そのおばあさんはマンションの外廊下を徘徊して、
よく夜中に大声をあげたりしている。


それを、娘さんは、なだめて、
何とか部屋に戻そうと苦労している声が耳に入ってくる。
よく頑張っているなと思っていた。


その人たちからは、
私が、隣に住んでいる男性だということは分からないだろうと思い、
私は、挨拶をしないつもりだった。
すると、上だと思われる娘さんが、私を見て
ニコニコして「こんにちは」と言って挨拶をしてきた。
私はあわてて、明るく「こんにちは」と挨拶を返した。


挨拶をしてきたその方は、
以前、お互い部屋に入ろうとするタイミングが同時となり、
その時、その方がこちらを向いて「済みませんね、認知症なので」
と声を掛けてきたことがある。
その時、私は「いえ、全然大丈夫ですよ」と答えている。


その方と顔を合せたのはその一瞬だけだったのだが、
私が隣の住人の男性であるということが、よく分かったなあと思った。


その方は、いつも笑ってるような表情をしていて、
どこか包容力を感じる人だ。


この挨拶のやり取りは、
その日を、
気持ちのいい一日にしてくれた。

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