これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻は “かぐや姫”?

以前、
妻を“かぐや姫”に例えたブログを書いたことがある。


妻は月からやって来て、そして帰って行ったのだ という内容だった。


当時は、喪失感に押し潰されそうな時期だったと思う。


少しでもそれを緩和するために書いた記憶がある。
今、それを、再び考えた。


今も、喪失感の量は、当時と、ほとんど変わらないと思っている。
喪失感との付き合い方に、少し慣れたかもしれないが・・・。


妻を“かぐや姫”に例えて考える発想は、
喪失感現象に、比較的効果があると感じている。


妻は、
期限付きで、月からこの世に差し向けられ、
私との結婚生活を送り、
期限となったので、月へ帰って行った。


そういうことで、
私は、妻との生活を24年半送ることが出来た。


“頂いた24年半”だったということになる。
プラス24年半ということになる。


一方、
普通の考えに戻れば、
「あと20年は一緒にいられたはず」という考えになる。


失った20年となる。
マイナス20年となる。


このマイナスが喪失感を大きくしていると考えられる。


マイナス20年ではなく、プラス24年半だった」と考えれば、


喪失感を減らす効果があるのではと考え、
妻を“かぐや姫”として想定してみた次第だ。


預かり物を、
期限が来たので、返したということだ。


そう考えれば、
少しだけ、気持ちが楽になる。


これは、“おとぎ話”だ。


しかし、そうでないとも思いたい。



話は飛びますが、(飛びすぎですが)


「ダーウィンの進化論」
生物は、不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきた、
という仮説。


対して、
「創造論」
神が、世界や人間、生物を創ったという説。


世の中、確定されてないことがたくさんある。

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