これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

宇宙的視野

妻が亡くなる前の私は、
“視野”が、“自分の生活圏”にほぼ限定されていた。


妻が亡くなった後も、その限定された視野の範囲は変らなかった。


視野が自分の生活圏だけだと、
妻がいないことで、喪失感が増し、
辛い時間を過ごすことになっている。


たまに、何らかの刺激を受けて、
その時だけ、“地球的視野”になることはあった。


地球的視野の時は、少しだけ喪失感が減少するが、
それは僅かであり、辛い心の状態を変えられる程ではない。


しかし、最近、、
視野が“宇宙”に向かうことが増えてきた。


自分の生活圏で起こる出来事に一喜一憂することは、
自分にとって重要ではないということに、
気付いたためかもしれない。


“自分”という存在は、
広く深い宇宙の中の一点に過ぎないと考えると、
壮大な景色が目の前に見えてくる、


脳内が改変されるような感覚になり、


今、身体を覆っている“喪失感”を、
外から眺めているような状態に変化していく感じがある。
(まだ完全とは言えないが)


“息をし続ける”ために、“自分の生活圏”に視野を向けることは大切だ。
それに、
“宇宙”などという訳のわからない世界よりも、
見える世界に対処している方が、簡単かもしれない。


ただ、
それだけでは、喪失感と付き合うだけの生活になってしまう。


そうしつつ、
宇宙に視野を向けることは重要だ。


無限である未知の世界に目を向けることで、
何らかの変化を起こす要因が発生するかもしれない。


宇宙的視野で考えると、
「妻の死」は、
自然現象だったのかな、
と考えたりもする。


宇宙の摂理を変えることなく起こった現象かな、
と思ったりもする。


ここから先は、未知の世界に入る。


いいことへの遭遇があればいいが・・・。

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