これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の無念

私の感情の中で、
妻の死を言葉で表すと、
「無念」が最も近いように思ってしまう。
私の無念も確かにあるが、これから書くことは妻の無念だ。


本人から聞いた訳ではないので、合っているかどうかわからない


もちろん幸せだった という感情もあったはずだ。


しかし、「妻は無念な思いを抱えたまま亡くなった」
という思いが、私の心の中にある。


「どうにかしてあげたかった」という後悔の念が、
私を、そういう思いにさせているのかもしれない。


妻は、控えめで、自分を抑えるところがあるとともに、
こうでありたいという理想も併せて持っていた。
(本人の口から出ていた訳ではないので、想像による)


その理想とは、
自分自身、家族、配偶者のうち、誰かが社会的な成功者であるということ。


それを妻の父親が担っていた。
脱サラして、会社を作り成功していた。
そして、大きな家も建てた。


父親が、成功者であったため、
私が平凡なサラリーマンであっても、妻の心は満たされていた。


しかし、リーマンショック後、それが一気に崩れていった。
父親の会社は赤字に転落した。
そして、自宅を売却することになる。


本人はどうかというと、
アスペルガー(だと思う)が原因してか、
勤め先で、嫌な思いが続き、思い通りにならないイライラを持っていた。


そして、残る私になるのだが、落ちこぼれてはいないが、
給料も地位も高くない普通のサラリーマン。


妻の理想を満たすものではなかった。


そこが、「妻が無念な思いを抱えたまま亡くなったのではないか」
と考える所以だ。


別の見方をすると、
妻は価値観の近い私と結婚生活を送れたことに、
幸せを感じていたとは思う。


「奥様は幸せだったと思いますよ」という意見も少なくはないと思う。


しかし、私は妻の人生を幸せにすることが使命だと思って、
生活していた。


そのため、
今も、“妻の無念”が、
心の中で、引っかかりとして残っている。

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