妥協する力
妻に会いたい
それは、叶うことはない。
願いが叶わないので困っている。
困った時、落ち込んだ時、
側面から助けてくれるのが「ことわざ」だった。
今になって、この「ことわざ」は無力化してしまった。
求めよさらば与えられん。
↓
求めても、絶対に妻に会うことは出来ない。
為せば成る。
↓
妻を生き返らせようとしても、それは無理。
失敗は成功のもと。
↓
覆水盆に返らず(妻が亡くなったという事実を変えることは出来ない)
人事を尽くして天命を待つ。
↓
いくら努力して結果を待っていても、妻が帰ってくることはない。
蒔かぬ種は生えぬ。
↓
いくら種をまいても、出てこないものは出てこない。
石の上にも三年。
↓
何年経っても、帰ってこないものは帰ってこない。
死別者となった今、
「ことわざ」がことごとく覆されていく。
普通の人から見れば
マイナス思考の人間に見えてしまうことは、致し方ない。
思い通りにならなくなった人生。
そういう状態に置かれたとき、
どういう心を持って生きていけばいいのだろう。
「妥協」という言葉が思いつく。
いいかえれば、肩の力を抜くこと。
“見えない妻”で妥協する。
“見えない妻”であっても、存在を感じていれば、
小さな幸せは感じていられる。
大きな幸せを祈っても叶わないのはわかっている。
小さな幸せでいい。
それでいいのだ。それで・・・。