幸せのカタチ
一部を共用スペースとして開放しているビルが近くにあり、
私は、よくここを利用する。
新聞を読んだり、バイト関係の入力をしたり、
たまに本を読んだりしている。
図書館でもいいのだが、
こちらの方が、隣とのスペースが広くとられており、
この時期には、こちらでいいのではと思っている。
家の中でもやれるのだが、
家の中にずっといると、一人の寂しさを感じてしまうので、
なるべく外に出ることにしている。
サラリーマン、老夫婦、ママ友の集まりなど、
年齢、性別、職種関係なく、ここのテーブルを使っている。
話をすることがなくても、人が周りにいると、
一人ではないという感覚になる。
“孤独を感じない時間”が作れる とてもいいスペースだ。
先日、30代後半に見える男性と、6歳くらいの女の子の親子連れが、
隣のテーブルに座った。
頭が丸刈りのお父さんは、少し海老蔵に似ている。
平日の昼間に、こうして、娘とここに来ているということは、
自営業、フリーランス、または自宅勤務のサラリーマンか。
女の子はノートを出して何かを書いていて、
父親は、女の子に何かを教えている風だ。
女の子は時々手を止めて、お父さんにちょっかいを出したり
抱きついたり、頬をお父さんの頬に近づけ、すりすりしたりしている。
すると、お父さんは、女の子を元の位置に戻し、
「しょうがないな」という顔をしつつも、
とても嬉しそうだ。
、
傍から見ていても、
幸せホルモンが、こちらまで飛んできて、
これが家族であり、久しぶりに幸せの形を
感じさせてもらった。
ただ、
幸せな時間を持つ環境下にいられる人に対して、
羨ましく思うと共に、
「私には二度とこういう時間は訪れないんだ」と思うと、
寂しさを感じてしまった。
この親子は、
今が一番濃密な期間で、
この女の子が中学生くらいになると、
関心が外に向くようになり、
お父さんは、寂しい思いをするようになるかもしれないないな
とか、いろいろ想像しながら、その親子を見ていた。
この女の子のように、
全面的に相手に頼っている姿を見ると、
ほのぼのとするし、暖かさを感じる。
そして、心が洗われる。
私は決して頼られるタイプの人間ではなかったが、
それでも、妻は私に頼ってきた。
頼ることで、幸せを感じる妻。
頼られることで、幸せを感じる私。
二人の間には、
“いい幸せのカタチ”が作られていた。
この「カタチ」が悲しみに変化しないように、
日々、踏ん張っている。