これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「感動」に必要なもの

「感動」 すなわち感情を動かすために必要なものとは。


淡泊な私が今までに感動した数少ない出来事を、
振り返って探したところ、


中学時代の軟式テニス
大学受験
妻との出会い


が挙げられる。


この三つの出来事には共通点がある。


それは、
達成前に大きな「底」がある点だ。


中学時代の軟式テニス
中学最後の県大会を1週間後に控え参加した地域の大会で
2年生にまさかの一回戦負け。


県大会、大丈夫だろうかという大きな不安がよぎったが、
ベスト4まで進み、予想外の結果を収めた。


大学受験
滑り止めにことごとく落ち、第一志望も落ち、崖っぷちに立たされた。
残り1校、最後の最後、第2志望校に合格出来た。
結果を知り、母親が泣いていた。


妻との出会い
妻との結婚は私が38歳の時。
当時は、田舎に住んでいたことと、時代もあり、
この年齢で独身なのは、何か問題があるのではと思われる風潮があった。
会社の先輩は心配してくれ、親は半分諦めぎみだった。


そこで、出会ったのが妻だった。
それまで、恋愛、見合いで会った人にはないものを持っている人だと
出会った瞬間に感じた。
妻も33歳で当時としては晩婚になるので、
双方の両親は大喜びだった。


これら3つのストーリーは、同じ流れがあり、


最初、うまく行かない → どん底 → 不安が増す
→ 目指すものへの欲求が増大する → 予想をはるかに上回る結果が得られる
緊張からの解放 感動する


私にとって、大きな感動を得るには 「底」 が必要なようだ。


「底」と「達成」との差が大きいほど、喜びは大きくなる。


現在、私は妻を喪ったことで、深い底の中にいる。


3つのストーリーの途中のように深い底の中にいる。


しかし、決定的な違いがある。


この先ストーリーの展開が見つけられない点だ。


どう考えても、到達点の「感動」まで辿りつく方法が見当たらない。


不可抗力なのだ。


でも人生はもう少しある。


妻以外の小さな感動を寄せ集め、
小さな灯火と共に、残りの人生を全うするつもりだ。

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