これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻が言っていた商店街を歩いた

昨日、妻が小学5年から20歳くらいまで住んでいた場所に
たまたま用事があり、行ってきた。


用事が終わり、妻が時々口にしていた商店街を歩いた。


この場所は、東京23区の中で最も地味な印象がある区だ。


しかし、この地味なところが、いい雰囲気をかもし出しているともいえる。


商店街を歩いていると、とてもいい表情をしている人が多いのに気付く。


西側や南側に位置している区においてよく目にするギラギラ感がない。


背伸びせず、等身大で生きている雰囲気の人が多い。


お互いの信頼感が見られるコミュニケーションをとっている親子が多く、
店の人も、高過ぎず低過ぎないテンションで客に接している印象がある。


そういう人がたくさんいる中を歩いていると、
心が自然とやさしくなって来る。


「妻は、思春期、こういうところで過ごしたんだなあ」
と思っていると、妻を想う気持ちが喚起され、
心が温かくなってきた。


そういう状態で、歩いていたが、
しばらくして、喪失感が体を覆いはじめ、
力が抜けていくのを感じ始めた。


商店街を抜け、駅に近づいた時は、
肩を落とし、下を向いて歩いている
自分に気がついた。


以前、妻の出身大学の横を歩く機会があった時、
体の中から何か分からないエネルギー源を感じたことがあった。


今回は、逆にエネルギーが吸い取られる感覚だった。


昔、妻がいた場所を歩いた時、なぜ違う反応になったのだろう?


以前の体験は、
私の体の中にいる妻が主導して、
妻の喜びが私の体に伝わったのに対し、


今回は、
私自身が主導していたため、
妻の喜びが私の体に伝わらなく、
喪失感が上回ったのだと、
勝手に推測した。



商店街は、庶民感覚にあふれており、
売ってる物の値段も驚くほど庶民的だった。


ブロッコリー、ほうれん草、ニンジンや、アーモンド、
夕食用に、豚の角煮を買って帰った。

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