連鎖
指の爪が伸びているので、「そろそろ爪を切らなければ」と思った時、
妻の闘病中の行為が思い出された。
がん告知から2ヶ月ほど経ったある日、
妻が小さな木箱を持ってきて、
「骨を箱に入れてくれないかも知れないから、宝石箱
(普通の小さな木箱なのだが、妻らしい表現だ)に、爪を入れておくから」
と言ってその木箱を私に見せた。
一歩引く妻らしい言葉だなと思った。
私が、
「間違いなく遺骨箱は、この部屋に置くよ」と答えると。
妻は、
「ほんと!」と言って、嬉しそうな表情を見せた。
妻は、闘病中にもかかわらず、
相変わらず“ピュア”だなあと思った。
こういうピュアな妻の言動が見れる時間が残り少ないことを思うと、
切なくもなった。
毎日の何でもない行為の中で、妻を思い出す連鎖が起こる。
辛い部分はあるけれど、
妻と繋がっている感覚もあり、
この連鎖は、無いより、あった方がいい。
しかし、
妻を亡くした2017年10月6日 以降、
目にした人からの、「妻を思い出す連鎖」は起こっていない。
妻は、独特の感性があり、なかなか似たような人には出会えない。
私にとって、唯一無二の人だったことを、改めて感じる。
妻に似た人を目にして、
「これは妻なのかもしれない」と思う瞬間に、いずれ遭遇するはず。
このような、
儚い夢ではあるけれど、
持ち続けることで、
“生きるエネルギー”を保つことが出来ている。