これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑤

妻は、自分が癌になったことを、友達だけでなく自分の母や姉に対しても
知らせないでほしいと私に言った。


妻の考えを尊重していこうと決めていたのだが、
義母や義姉達だけには伝えないといけないだろうと判断、
妻の2人の姉のうち、ひとりの姉に
妻が癌の告知を受け余命1年であることを伝えた。


その姉から義母へそのことが伝えられた。


5月28日、今日も妻は部屋の整理を行った。


午後、義母から妻へ電話が入った。


ふたりの姉と一緒にそちらに行くから一度会いたい
と妻に話しているようだったが、
妻は頑としてそれを受け入れず、断り続けていた。


電話を私に代わり、私から説得してほしいとのことだったが、
妻は1度言い出したら絶対に変えることをしない人なので、
私が説得しても難しいことを伝えた。


電話を切った後、なぜ会うことをしないのか聞いたところ、
会うことでストレスを感じることを今の時期は出来るだけ避けたいからだと答えた。


妻は母親によく自分の言動を注意されることが多かった。
それで断絶ではないが母親のことを嫌っていた。


5月29日、私はバイトに出かけた。
妻は1人でがんセンターへ行き、
ソーシャルワーカーに会った。


そこで妻が選んでいた在宅医院が正式に決まった。
その後、疑似モルヒネの薬を出してもらった。


飲んだ後、少し吐き気を催した後、ほんわかした気分になったことを、
妻は、帰宅した私に話した。


5月30日、義母より電話があった。
また、妻の携帯に義姉より治療費の資金援助についてのメールがあったことを、
妻は私に伝えて来た。
私は、こちらの方でなんとかなり大丈夫ですと返事するよう妻に伝えた。


この時期、私は妻の癌が消えるという奇跡について
まだ希望を持っていた。


そこで、ブログを書いてそれを見た人から治療について
何らかの情報が集められるのではないかと考えた。
この時期、癌闘病中の元女性アナウンサーのブログが話題になっている時だった。


そして、妻に「○○がブログを書いているけど、
自分も君の闘病中のブログを書いてもいいか?」
と聞いた瞬間、「そんなのは有名人がやることだ」
と言って妻はすごい剣幕で怒り始めた。


治療の情報を引き出すことが目的なのだが、
妻はその説明をする前に怒りだした。


こちらがブログを書く意図を説明しようとしても、全く耳を貸そうとしない。


妻はテレビに出るような目立つ人ではなく、
地味でも堅実に生きている人を好む傾向がある。


ブログを書く意図を説明しようとしても全く耳を貸そうとしない妻に、私もいらつき
「人の話を最後まで聞かない。そういう所がだめなんだ」
と激しく妻を怒鳴りつけた。
普段温和な性格の私のその態度に、妻は怯えたのか、
かけもしない携帯を手に持ってかける動作を装った。


その瞬間、私はしまったと思った。
余命を宣告されて気弱になっている人に対して、
何てことをしたのだと後悔した。


ブログを書くことはやめた。

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