これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「疑似」では満足出来ない

妻を見ることが出来るのは、


寝ている時に見る、「夢の中」。


起きている時、想像して「頭の中のスクリーン」に映し出される姿。


遺骨箱の隣にある写真、
パソコン内の写真、動画。


これらは、視覚がなせる技。


動画で聞く、妻の声。
これは、聴覚が成せる技。


昔の人は、動画というものを見ることが出来なかった。
もっと昔の人は、写真のような静止画も見られなかった。


今後は、
ホログラムという立体映像で、
妻の立体映像が普通に見れる時代が来るだろう。 


映像技術は日々進化している。


しかし、
五感のうち、視覚、聴覚で妻を再現することは出来ても、
触覚を作り出すことは簡単ではなかった。


触覚を擬似的に再現する技術が進んでいるらしい。


しかし、リアルに限りなく近づけたとしても、
それは、リアルではない。


脳を騙しているにすぎない。


騙されたままであれば、リアルとして感じるので、
それは、「幸せなこころ」を取り戻せるだろう。


だが、
騙されていると、分かってしまう人間にとっては、
それは疑似に過ぎないと思ってしまう。


リアルでしか、満足出来ないのだ。


「五感」に加えて、
第六感」というものがある。
偶然が、必然に感じられる感覚だ。


この「第六感」は、
五感だけでは作り出せなかった心理的な「リアル」を、
作ってしまうのではないかと思わせる、力を感じる。

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