これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「天国」という言葉を考える

先日、味のある有名な俳優が亡くなった。
その長女役として出演していた女優が
天国でもたくさんの人を幸せにしてくださいね」
とコメントしていた。


故人について語る時、
この「天国」という言葉がよく出てくる。


「どうか天国でも笑顔を絶やさず明るく振る舞ってください。」
「「天国」から私達を見守っていてください。」等


「天国」という言葉の使われ方において、
いろいろなことが考えられる。


周りが普通に使っているので、
故人の話をするうえで、この言葉を使うと便利だから。


故人に住所がないよりも、あった方が、
何となく安心感が得られるから。


確かに、
無になった妻よりも、妻の住所がある方が、
私の心は安定する。


と言っても、
「天国」とは、
人間が作り出した“こころの避難場所”に過ぎない
とも、考えたりする。


どちらにしても、宗教人でない者としては、
見えなくて、グレーで、つかみどころのない存在だ。



以前は、見えないとされていた「ブラックホール」」が、
2年前に、地球上の8つの電波望遠鏡を結合させて撮影された。


私も昔は、「ブラックホール」と聞いても、
SFの世界の話くらいにしか思っていなかった。


しかし、その存在が、
2年前に科学で証明されることとなった。


では、「あの世」「天国」も、将来、見ることができるのか。


入ったら戻って来れなくなるという共通点もあり、
「あの世」を、「ブラックホール」と同じジャンルに入れたくなる。


しかし、
「ブラックホール」が見えたとしても、
私たちの生活が変わらないのに対して、


「あの世」が見えてしまうと、
「この世」の仕組みが崩れてしまい、大変なことになってしまう。


そうそう考えて行くと、
「この世」から、「あの世」が見える日は、
来ないのではないかと考える。


以上の話は、
「あの世」がある という前提での話でした。

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