“擬態”
自分の身を守るため、姿、形を何かに似せて他の生物をだまし、
エサにならないようにする行為である“擬態”。
その例として、
枯れ葉に擬態して捕食者から身を守るチョウ。
ウミヘビに擬態して身を守るタコ。
これらは、「隠蔽擬態」。
花に擬態して、獲物をおびき寄せ捕らえるカマキリ。
これは、「攻撃擬態」の方だ。
動物や生物の一部は、生きるために、この“擬態”を身につけた。
では、人間はどうだろう。
人間は、“擬態”をしなくても、命を奪われることがないため、
その能力は持ち合わせていない。
私は、死別を経験した後、
人と会っている時、中身と違った自分を演出している。
そうしないと、
社会とのつながりが切れてしまう感があるからだ。
周りが“普通”で、
自分のような死別経験者は、
“普通”ではないという立場が、そうさせているのかもしれない。
違う自分を見せて、自分を守っているという点では、
動物や生物が行なう“擬態”と同じだ。
すべてではないが、多くの死別経験者は、
この“擬態”を行なっているのではないだろうか。
私のように、週2日のアルバイト勤務だと。
限られた時間だけ、擬態を行なえば、それで済む。
それに対し、
正規で働いている人は、
勤務中の長い時間を擬態していなければならず、大変だと思う。
社会とのつながりを求めないのであれば、
“擬態”を行なう必要はないが、
まだ、“仙人”のようにはなりたくないと思っている。
“仙人”となった私を妻が見たら、心配するだろうから。