これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“擬態”

自分の身を守るため、姿、形を何かに似せて他の生物をだまし、
エサにならないようにする行為である“擬態”。


その例として、


枯れ葉に擬態して捕食者から身を守るチョウ。
ウミヘビに擬態して身を守るタコ。
これらは、「隠蔽擬態」。


花に擬態して、獲物をおびき寄せ捕らえるカマキリ。
これは、「攻撃擬態」の方だ。


動物や生物の一部は、生きるために、この“擬態”を身につけた。


では、人間はどうだろう。


人間は、“擬態”をしなくても、命を奪われることがないため、
その能力は持ち合わせていない。


私は、死別を経験した後、
人と会っている時、中身と違った自分を演出している。


そうしないと、
社会とのつながりが切れてしまう感があるからだ。


周りが“普通”で、
自分のような死別経験者は、
“普通”ではないという立場が、そうさせているのかもしれない。


違う自分を見せて、自分を守っているという点では、
動物や生物が行なう“擬態”と同じだ。


すべてではないが、多くの死別経験者は、
この“擬態”を行なっているのではないだろうか。


私のように、週2日のアルバイト勤務だと。
限られた時間だけ、擬態を行なえば、それで済む。


それに対し、
正規で働いている人は、
勤務中の長い時間を擬態していなければならず、大変だと思う。


社会とのつながりを求めないのであれば、
“擬態”を行なう必要はないが、
まだ、“仙人”のようにはなりたくないと思っている。


“仙人”となった私を妻が見たら、心配するだろうから。

×

非ログインユーザーとして返信する