これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

幸せの基準

妻が亡くなって、もうすぐ4年になろうとしている。


妻と暮らした24年半と、この4年とを比べて、
何が違うのか、考えて見た。


「2人の生活」から、「1人の生活」に変ったのだから、
生活の物理的変化があるのは、至極当然だ。


現在、
物理的な変化で、不自由を感じることはほとんどない。
むしろ、以前より自由になった感がある。


部屋のレイアウト変更を、
妻の反対なく、自由に出来るようになったことや、
食器洗いのやり方など、
妻のこだわりに気を使う必要もなくなった。


ただ、
この物理的な自由は、
私に1滴の幸せも与えてくれない。


やはり、必要なのは精神的な方だ。


精神面での満足は、残念ながら、
妻なしでは作り出すことが出来ない。


今の生活の中であっても、
気持ちが良くなる時間帯がない訳ではない。


美味しいものを食べたあと、
テニスをしたあと、
いい曲を聴いたあと、
人と気持ち良く会話が出来たあと、
テレビで面白いものを見て笑ったあと、
ぐっすり眠れて、体調の良さを感じた時、等


しかし、
これらのことは、
体が気持ちよくなってる感はあるのだが、
心を満たしてくれている感はない。


本当の“幸福感”とは違うと考える。


幸福感を味わえなくなって、4年になる。
今後も、この状態が続くことは、残念ながら確定している。


あと何年この状態に付き合わなければならないのか。


3年か、10年か、20年か?


この不都合な状態を変えることは可能なのだろうか。


この死別ブログに参加しているのは、
故人を第1に想っている人がほとんどだと思っている。


人間、心の状態に最も影響を与えるのが、「比較」だと思っている。


伴侶を失った今も、その人を1番に置いているから、
苦しいのではないだろうか。


2番に置くことが出来れば、楽になるのではないか。
あるいはもう一つ1番を作る。


再婚した人で、
「妻のことは忘れないが、今の奥さんも同じぐらい好きだ」
という言い方をよく聞く。


1番をもう1人作ったことで、再び幸せを取り戻した例だ。


あるいは、「新しい生きがい」を見つけて、もう一つ1番を作る。


気持ちを、1点に集中しないで分散させる。


これが出来れば、以前の幸せの上書きが出来るのでは。


確かに、そういう幸せの回復方法もある。


しかし、それが出来ない人もいる。
私は、その類だ。
もう一つ1番を作るのが難しい。


妻は単独1位なのだ。


単独1位不在の生活の中で、
“幸せ”を取り戻そうとしている自分がいる。


幸せの基準を、大きく下げることで、
脳が”錯覚”し、
それが、可能となるかもしれない。

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