これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

同級生、亡くなる

27日金曜日の午後、
学生時代の友人から、私の携帯に電話がかかってきた。


彼、「○○だ。元気?」
私、「おお、久しぶり」
彼と話すのは、3年半前の同窓会以来だ。


彼、「○○(同級生)が亡くなったんだ。何人かに連絡しているんだ。」
私、「えっ、」
彼、「癌だったんだ。喉頭癌」
私、「いつ頃から、発症したの?」
彼、「最近で、体が痩せてきて、おかしいと思い検査を受けたら、癌だというのが
   わかったらしいよ。土日でお通夜、告別式なんだ。」


彼は、私が葬儀に出席するか、しないかを確認したかったのだろう。
私が、日程をすぐに聞かなかったことから、
彼は、私が葬儀に出席する意志がないことを察知して、
そのあと、私に葬儀への出席の確認することはなかった。


そして、最後に、
「元気そうで良かった。コロナが収束したら、何人かで集まって飲もう」と
彼は言って、携帯での会話は終わった。


3年半前、同窓会の帰りの電車の中で、
私は彼に、半年前に亡くなった妻のことを、
長時間話している。


その時の私の様子を見ていたので、
彼は「元気そうで良かった。」と言ったのだろう。


私は、人と話す時、心の中とは裏腹に、元気そうに話すことが、
常態化している。


彼は、私が完全に立ち直っていると思っているかも知れない。


携帯での会話中、
私は、彼に
妻を亡くして以来、“死”に対する恐怖感が大幅に減っているんだ」と、
言おうとしたが、思いとどまった。


元気そうな私の声を聞かせて、せっかく安心させたのに、
わざわざ、それを壊すことはないと思った。


彼は、葬儀に出席している同級生たちに、
○○は元気そうだったよ」と伝えるだろう。


彼の頭の中には、完全に立ち直った私の姿があるはずだ。


彼は、奥さんが健在だし、子供もいる。
しっかり、家族の中で生活している。


コロナが収束したとして、飲みに誘われた場合、
違った環境にいる相手との接し方には、工夫が不可欠だろう。


妻の話は、聞かれた時ぐらいだけにする。
彼らの、前向きに将来を探ろうとする会話に、
関心のなさそうな表情は見せない。


言ってみれば、演技が必要となる。


2時間くらいの演技は大丈夫だが、それ以上になると、
忍耐の時間に突入することになる。


長時間の演技はしんどい


でも、学生時代の友人と、場を共にする時間は貴重で、
演技も、それなりに価値のあるものとなるはずだ。

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