これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑦

6月7日、私がアルバイトで出かけている時、妻に義母から電話が入った
その会話内容を妻は私に話した。


○○さん(私にこと)が全部背負うことはない。ひとりで何もかもやるのは大変だ。
私達も看護を手伝うから」と義母が妻に話したのに対して、


妻は「うちはそのようなシステム (主人がひとりでやるシステム)
になっているのです。」と答えて、母親の申し出を断ったとのこと。


「親に会うと、つるし上げられ、血圧が上がってしまうわ。」とも言った。


「在宅であっても、ホスピスにいるようなもの。」と言って、
 このような看護の形を選んだことについて、
 間違いはなかったという表現をした。


6月8日 在宅医が来た。
治療費の銀行振替申請書を受け取った。
往診は月2回でお願いした。


妻は「(笑いながら)早くお迎えが来てほしいんです。
   ふわーとした眠気の中で死にたい。」と先生に言った。
先生は、返す言葉に困った様子だった。


その後、痛み止め薬を受け取るため、調剤薬局までふたりで歩いた。
薬が出るのを待っている妻の姿をビデオカメラで撮った。


痛み止めの薬を、妻は6時、12時、18時、24時に、
塗り薬は1日1回使用しでいる。


「北朝鮮の一撃、今日は入った。」 
 痛みを感じたことを、彼女独特の言い方で表現した。
この時期は、北朝鮮のミサイル実験が、ニュースで頻繁に報じられている時だった。


「私が死ぬのは、小動物が死ぬようなもの。」


「ハチ (昔近所で飼われていた柴犬で、妻はそこを通ると時、いつも撫でていたが、
 数年前に亡くなっている) のところに行きたい。」


この時期は、妻はまだ元気で、彼女らしい天然語が健全だ。


相変わらず妻の30分に1度トイレに行く状態が続いている。
隣で寝ている私は、睡眠不足になりがちだが、
その原因が妻ということであれば全然辛くない。


毎日トマトを小さく切って妻に出している。
妻に対して、目に見える形として自分が出来る、数少ないことだ。
妻は本当に嬉しそうに 「ありがとう」 と言って、
トマトをのせたお皿を受け取る。


その顔を見て、私は癒やされる。
もっともっと妻のために何かをやってあげたい。
でも、やってあげられることは限られてしまう。
もどかしい。


「亡くなった後、いい奥さん見つけるように。」
「のらちゃんが、将来介護が必要になった時も、○○在宅医院に頼んだりして。」


なにか変で面白い人だ。

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