これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「妻の研究」を、生きる目的の一つにしたい

昨日、父の四十九日で帰省するため、朝6時に家を出た。
まだ薄暗く、人の姿はない。


これは以前、妻との日帰りバス旅行の時に
何度も経験した光景だ。


その時を思い出し、急に寂しさがこみ上げて来た。


みぞおちの下から心臓の上あたりの胸中を嫌な風が吹く感じだ。


妻はこの時だけは、ものすごく早く駅に向かって歩く。
こちらがついていくのが精一杯の早さだ。


普段は時々後ろを振り返らなければならないくらい遅いのに
なぜこんなに早く歩くのか。


妻の生前は、この不思議さを特に気に留めることはなかった。


妻は日帰りバス旅行の予定が決まると、必ず前日にバスの集合場所を下見に行く。
誰でもわかるような場所なのに、わざわざそのようなことをするのは、
お金と時間の無駄だと思うが、
私は、その行為を特にとがめることはしなかった。


ただ心の中で、変な人だと思っていた。


しかし、今、気が付いたことがある。


妻は、子供は作らない、料理はしない、家事全般も概ねやらない。
仕事もフルタイムで働いているわけではなく、
これだけを聞くと、困った奥さんの印象が強いと思う。


しかし、私はそうは思わなかった。
これは、妻の持つ精神疾患(アスペルガー)から来るものだと考えている。
本人もそれを分かっていて、怠けようとしているのではなかったと思う。


妻は、私に対して申し訳なく感じていたのかもしれない。


それで、いっしょに旅行する一日を、
自分が出来る精一杯のことをやる日と決めていたのではないだろうか。


昼食がバイキングの時は、自分の食事は後回しにして、
私を座らせ、私の分をいつも先にとりにいってくれていた。


自分も大きなバッグを肩に掛けていたにも拘らず、
私の分のお土産袋を「私が持つ」と言って、
いつも妻の持っている荷物のほうが、私より多くなっていた。


このように思い返すと、妻の行動の意味が見えてくる。
妻の生前には気づかなかった妻の内面を
知り得る場面が時々ある。


歴史上の人物を、多くの歴史学者が研究するように


妻について、深い研究が出来るのは私しかいない。


現在、生きる目的を見出せなくなっている私だが、


妻の研究を続けていくことが、
生きる目的を作り出す一助になるような気もする。

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