これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

男女が寄り添う光景

ネットを見ていて、
男女が寄り添う光景を手彫りした人形が目に入った。


「幸せ人形」と名が付いているだけあって、
見た瞬間、幸せ感が伝わってくる。
(佐賀県鹿島市のふるさと納税返礼品のようだ)
木彫りであることが、より温かみを増す。


「寄り添う」
この言葉は、
温かさ、やわらかさ、信頼のすべてを包括しているようだ。


いい言葉だと思う。


寄り添う光景
  ↓
男女が寄り添う光景
  ↓
と寄り添う光景
  
気持ちの高まりと共に、
抽象的表現から、具体的表現へと変化する。


寄り添いの光景を見ている時、


その間、時間はゆっくり流れる。


そして、見るのをやめて、普段の生活に戻ると、
時間の流れは、にわかに、速くなる。


長く連れ添い、お互いに信頼している老夫婦が、
無言でお茶を飲んでる光景は微笑ましい。
時間がゆっくり流れている。


ここにスマホを見ている光景が入ると、
時間は回転を速めてくる。


やっぱり、寄り添う光景は、アナログの時間だ。


デジタルは、現代を生きるためには必須とも言える。


しかし、
冷たい訳ではないが、温かい感じはしない。


何年も前、スマホがまだ世に出回っていないガラケーの時代、
テニス仲間の飲み会の時、
私より少し年上である男性のAさん(当時40歳代)が、
携帯を持とうとしないことを、
みんなから、責められる場面があった。


メールでの連絡が出来ないという理由だ。


出席者のほとんどが、その男性を少し馬鹿にして責めた。
雰囲気が和気あいあいの中での、攻撃なので
深刻なやり取りではない


Aさんは、何の反論も言い訳もしないで、
ただニコニコしていた。


その時、私だけが、Aさんを責めていなかった。


携帯を持つのが当たり前と考える責める側
何か考えがあって携帯を持たないAさん
私は、どちらの考えも理解は出来る。


Aさんが携帯を持たない理由を考えるに、
想像ではあるが、
Aさんは、
携帯を持つことで何かを失うのを避けたかったのではないだろうか。
Aさんは、アナログ人間を通したかったのではないか。


メンバー全員いい人なのだが、
私にとって、一番温かさを感じるのがAさんだった。
器用ではないが、人間を感じるという感覚だ。


携帯を持たないことが、人間味が増し、
持っていると人間味が減る
とは一概には言えない。


アナログ人間は、
世の中では、生き難くなっているが、
人間味は保っているというのが、私の持つ印象だ。


妻も、“アナログ人間”だったと思う。


多くの人が、世の中に乗り遅れまいとしている姿を、
妻からは、感じ取れなかった。


最低限、世の中に合せようとしている私は、
妻のような人を、ある意味、尊敬していた。


“アナログ人間”の妻と寄り添う生活は、
あったかかった。

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