“幽霊”と“魂”
岸田首相が総理公邸へ引越した。
総理公邸には、幽霊が出るという噂がある。
岸田首相と、管前首相が官房長官時代のコメント。
幽霊見ましたか?
岸田首相「まだ見ていない」
公邸へよく行っていましたが、幽霊の気配はありましたか?
管前首相「言われればそうかな」
普段は淡々とした発言をする両者だが、
この答え方は面白かった。
公邸に住んだ総理は、「短期政権に終わるジンクス」がある。
岸田首相が、そのジンクスを覆すことが出来るか、
今後の政治手腕と合せて、注目したい。
このニュースを見たことで、
「幽霊」について考えて見たくなった。
ここまで引っ張っておいて何ですが、
こういう話に不快感を覚える方は多いと思います。
その方は、他のブログへ移ってもいいと思います。
妻が亡くなるまでは、
「幽霊」と聞くと、“怖いもの”という以外は考えられなかった。
妻の死後は、
“怖いもの”だけではなく、
出てきて欲しい対象でもある と考えるようになった。
もちろん、それは、妻の幽霊に限る。
それ以外の幽霊は、以前と同じく、“怖いだけのもの”であり、
まったく歓迎しない。
妻が目に見える状態で目の前に現われたとしたら、
あまりに嬉しくて、涙を流すかもしれない。
ただ、
私は、“幽霊”は、存在しないのではないかと考える。
人は、亡くなると同時に、間違いなく肉体を失う。
無くなったものが、なぜ再び現われるのか。
それは、脳の誤作動がもたらした結果ではないか。
実際には、現われていないのである。
目に見えないものとして、“魂”というものがある。
これは、残るという説がある。
存在するのであったら、
時々、目の前に現われているのかもしれない。
ただ、それは、“幽霊”と違って見えないのだ。
一方、
「“魂”なんて、あるはずがない」と言う人がいる。
こちらの方が、多いし、普通のような気もする。
“幽霊”と“魂”、
どちらもないとすると、
妻の姿を再び目にする機会はないということだ。
まあ、それが、普通だろうな。