言葉に反応する妻
1月に買い替えたスマホをいじっている時、
過去のメール履歴を見てみた。
個人的にメールのやり取りをほとんどしない私なので、
ほとんどがバイト先とのやり取りのものであり、
それがずらっと並んでいた。
その中で、
妻とのやり取りが数件だけあった。
妻らしく、よくわらない言葉・表現を使ったものが多く、
意味がわからないものも多かった。
その履歴を、書き出してみた。
(この部分は、完全に私のための記録ですので、
飛ばしていただいた方がいいと思います)
▼
妻:2016年1月18日 7時57分 都内は雪である
飛行機が欠航し、都内の交通機関も乱れまくっている。
夕方には晴れるが、心配している。
私:2016年1月18日 12時25分
今、○○空港、予定通り、13時20分発で帰れそう。
妻:12時32分 それは良かった
妻:2016年2月17日 23時50分 うめテスト
うめ
ひよこ
(「うめ」とは、妻が独自に付けた自分の呼称です)
妻:2016年2月28日 13時14分 メガネが見つかった。
床に落ちていた。
妻:2016年3月7日 14時22分
カギを玄関横の扉つき穴に念の為に入れた。
パソコン教室に行く。
私:15時6分 了解。鍵は持っている。
私:17時3分 鍵は持っていたので、大丈夫でした。
妻:2016年7月25日 13時50分ちらしが届いた
ちらし寿司の出前なら良かったがチラシが届いて全部折った・・・。
合計660枚である。
私:16時53分サンキュー
妻:2016年8月3日 11時13分 4万円が見つかった。
今月も生きられる。良かった。
今月も生存である。。
妻:2016年9月11日 20時50分 うめが狂った。
食器は洗ってない。
人生に疲れた。寝たきりの日が続く
私:2016年9月12日 11時34分
食器洗いは問題なし。12時55分○○空港発に乗る。
妻:2017年3月7日 テスト
(2017年5年24日 妻、がんの告知 余命1年を告げられる)
妻:2017年5年24日 13時13分
これからガンセンに痛み止めクスリを取りに行く。
診察は受けられない。
妻:2017年5月24日 13時17分ガンセン1階の新館受付窓口前で
15時30分まで待っている。
妻:2017年 6月26日 テスト
妻:2017年6月26日 10時7分 ワインが5本届いたわい。
(私が通販で申し込んでいたもの)
▲
妻の残した意味不明の言葉を見て、
私は、頭の中で笑って、そして、心が温かくなった。
妻と繋がっていた過去が、私の体の中に蘇る。
そして、妻を近くに感じる。
それと同時に、
「妻はもういないのか」という思いが湧き上がり、
「もうあの意味不明の言葉を見ることが出来ず、聞けないのか」
と思うと、寂しい気持ちにもなった。
妻は意味不明の言葉を作り出し発するだけでなく、
自ら面白い言葉に反応することが多かった。
私が少しだけやっている株式で、
パソコン画面の株価ボードを見ていると、
妻が私の部屋に入ってきて、
ボードをのぞき込みコメントする。
「モバクリ」「サカタノタネ」「トビムシ」
など、少し変った銘柄名に反応して、
「モバクリは上がったの?」と声を掛けてくる。
本人、株には全く関心がなく、
ただ“面白い銘柄名”に反応しているだけなのだ。
株価チャートを見て、少し間を置いた後、
「うーん、だいぶ上がったので、そろそろ売った方がいいですね」
と、すました顔で専門家を装ってコメントする。
その様子を面白がる私の反応 を期待しての行為なのだ。
言葉だけでなく、行動においても、
奇想天外なことを妻はよくやっていた。
それを見た私が、驚いたり笑ったりする様子を見て、
妻が喜んでいることは読み取れた。
(妻は、表情を変えず、すました顔をしていたが)
こういうところは、
“妻”というより、“小さな娘”という感じだった。
そのため、
妻の死は、
“妻”と“娘”の二人を同時に喪った感覚がある。
妻とのやり取りは、癒やされた。
楽しい人生の調味料としての役割を果たしてくれていた。
妻は、外で、人とのコミュニケーションに苦労し、緊張していた分、
“私との二人だけの世界”で心を解放させていた。
4年半が過ぎ、
妻が亡くなったことを、9割方認めるようになってきているが、
面白い妻がそばにいる日常がなくなったのは、やっぱり悲しい。
私のパソコンの受信トレイに、3月1日、
派遣会社から妻宛に「お仕事のご案内」メールが届いていた。
妻が亡くなって、半年くらいは妻宛のメールが来ていたが、
その後4年ほどはまったく来ていなかった。
なぜ、今頃来たのだろう。