これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

3回目の人生に入った

会社の寿命の30年説というのがある。
景気の30年周期というのもある。
人生にも30年周期があるのか考えて見た。


最近、“人生100年”と呪文のように唱えられているが、
90歳まで生きたとして、30年周期とすると、
3つの人生を送ることになる。
私は、66歳なので、2つの人生はすでに終えたことになる。


1回目の人生は、0歳から32歳まで。
高校まで地方の実家に住み、大学も地方、社会人になっても最初は地方、
そして転勤で大阪に7年半、32歳まで住んだ。


総括すると、
いいこともあったが、退屈でもあった、
平均的な普通の人生だったと思う。


2回目の人生は、32歳から62歳まで。
32歳の時、東京に転勤となり、37歳の時、妻と出会う。
38歳で結婚(晩婚)、62歳まで妻と生活を共にする。


幸せと悲しさの両方を経験した、メリハリのある、深みのある30年だった。


62歳で、妻が亡くなり、3回目の人生は独りの生活となり、
メリハリのない、寂しい人生となっている。


3つの人生は、異なった色の人生で、
1回目は“白”、2回目は“オレンジ”、
3回目は、まだ始まったばかりだが、“グレー”という感じか。


妻は私の人生に装いとアクセントをつけてくれた。


一度、その“装い”を経験してしまうと、
今の生活は、あまりに平らすぎて、つまらない。
更に、喪失感と哀愁も加わっている。


1回目の人生は、主役がいなかった。
2回目の人生は、妻という“すばらしい主役”が登場した。
3回目は、再び主役不在となり、
この先、ドラマが成り立つかどうか心配だ。


そこで、
妻には、今後、度々、ビデオ出演してもらおうと思っている。


誰もが、悔いの無い人生を送りたいと願うが、
悔いの無い人生なんてあるはずがない。


“悔い”は、大事な人がいるから、発生する。


3回目の人生は、大事な人がいないので、
“悔い”というものは発生しないはずだ。


今、悔いを感じているとしたら、
2回目の人生に目を向けているためだ。


人間、過去を現在に混ぜようとするところがある。


過去と現在は、時系列的には別ものなのだが、
記憶機能というものが正常に働いている限り、
どうしても混ざってしまう。


3回目の人生は、
2回目の人生の続きの要素があり、
記憶が作り出す“辛さ”と“心地よさ”が混ざったものとなり、
少し複雑なものとなりそうだ。

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