これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

ファン

家の中にいる時、
テレビを消して、静寂の中、
妻の世界に浸ることが少なくない。


『妻の世界』とは、
妻の笑ってる姿、天然の行為、怒ってる顔、凜とした佇まい、
これらを残さず1つの円の中に入れ、創り出された世界だ。


その中には、
“妻のこだわり”に反する行為をした私に対して、
攻撃している妻の姿もある。


これも妻の世界。


これを除いてしまうと、
妻の世界ではなくなってしまう気がする。
妻の世界を構成するうえで、必要とするものだ。


私は、時々、この円の中に入り、しばらくの間、
癒しの時間に身を委ねる。


未だに色あせない妻との思い出を振り返り、
やさしい風を感じ、
しばらく満喫した後、
円の外に出る。
妻のいない生活に戻る。


毎日、これを繰り返している。


思い返すと、
私は、妻と24年半、生活をともにした訳だが、
その間、浮気をしなかったのは当然のこととして、
心の浮気」であっても、しなかったことは確かだ。


お互いが50代の時、
職場に、
綺麗で、明るく、人に気を使い、よく気がつく性格の20代の女性がいた。
そういう女性なので、職場の男性の多くが、憧れる存在だった。


私も、いい印象を持っていた。


そこで、当時、
頭の中で勝手に、妻とその女性を並べ、比べてみたことがある。
その時、妻は50代。その女性は20代。


仮に、私が20代になったとして、私の意志でその女性と結婚出来るとして、
50代の妻と、20代のその女性のどちらを選ぶか想像してみた。


あまり迷うことなく、妻を選ぶことが分った。


“夫婦の絆の力”がいかに大きいかということを改めて感じた。


私にとっての最良の女性と、納得がいく結婚が出来た
ということが再認識された。


最近、自分が応援する人や物に対して、
「推し」とか「推し活」という俗語がよく使われているが、
応援する人や物があることは、こころの充実につながり、いいことだと思う。


私の、妻に対する感情は、
「推し」というより、「ファン」であったという方が近い。


妻も私に対して、
「ファン」という感覚を持っていたように、勝手に思っている。


お互いに、
自分が持っていないものを、相手が持っていると感じ、
お互いが尊敬し合っていたように思う。


喧嘩も定期的にしていた。
しかし、
基本が尊敬している相手なので、
その最中であっても、憎しみは皆無だった。


夫婦のカタチにも、いろいろあると思いますが、
私達夫婦は、このような夫婦でした。
と、妻がいない中、勝手に思っています。

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