これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻が“アスペルガー”でなかったら

ブログで何度か書いているが、
妻は発達障害の一つである「アスペルガー」だった。
(心療内科の診断は受けておらず、私の判断によるもので、妻は納得していた)


社会的なコミュニケーションが苦手で、生きづらさを持って生活していた。


アスペルガーは、一見して普通の人で、勉強は出来る人が多い。
私も出会った時は、普通の人に見え、透明感のある人だという印象だった。


付き合っている時も、
少し変ったところがあると思うくらいで、
普通の範疇に入っていた。


結婚して、一緒に生活していると、
アスペルガーの特徴が見え始めた。


自分の持っているルールに強いこだわりを持ち、
そのルールが一般とは違っている場合が多いため、
その部分で、よく私と衝突した。


喧嘩の時、一方的に自分の怒りを私にぶつけてきて、
私の言うことを聞こうとしない。


言葉のキャッチボールが出来ない。


3日ほど、私への攻撃が続き、
私が謝って喧嘩が終了するというパターンだった。


喧嘩が終了すると、妻は、ガラッと人が変り、
いつも通り、私にへばりつくようになる。


こういう妻の特性が、私は好きで、かわいいと思っていた。
3日続く喧嘩期間は、結構しんどかったが・・・。


私は、妻をこよなく愛していた。


なぜこんなに深く愛していたのかを考えてみた。


共通の趣味はなく、行動パターンも違っていた。
価値観は近い方だった。


相性はいいと思っていた。
でも、それだけで、こんなに深く愛することにはならないと思っている。


では、それ以外に何か要因があるのだろうか。


多分、これだと思う。


妻が“弱い人”に見えたからだ。


アスペルガーであることで、社会への適応力が弱く、
派遣の仕事も長く続かず、単発の仕事を繰り返していた。
仕事先でも、尊厳を傷つけられることが多かったのではないか。


そういうことで、
私には、妻が“弱い人”に見えていた。


生活に困窮し、ギリギリで何とか生きようとしている人、
世界にたくさんいる難民の人々の表情などに、心が打たれる。


逆に、
世間的に成功者として見られ、
ちょっと、はしゃぎ気味の人の顔が嫌いだ。


妻は、弱く見えるが、
素直さ、謙虚さ、無邪気さ を持っている人だった。


アスペルガーの脳が、このような長所を作り出したと言えなくもない。


妻が“アスペルガー”でなかったら、
私は、
ここまで妻を愛することはなかったのではないか。

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